釈徹宗先生の講演も聞いてきましたよ。

私は、宗教に深く関わると良くないような、触れることをわざと避けてきているわりには、無宗教と言いながら、願い事があれば、神さまに仏さまにお願いに行くありさまです。

これから、多くの外国人労働者を受け入れる日本において、様々な宗教があり、宗教を知らないことが問題になる、「宗教学」を学ぶことが必要であるとおっしゃっていました。

また、地縁ではないコミュニティ(中間共同体)に様々に所属することも大切だそうです。

「老病死と向き合う」時に。「涅槃経」2500年も前に書かれた書物に釈尊80歳が高齢者の最後として、苦しみながらみっともなく死んでいく様が描かれていてるそうです。老病死は、デザインできないと言われていました。

釈先生はお寺の裏の古民家を認知症の方たちが暮らすグループホームとして、改築されたそうです。その時にとても勾配のきつい階段をやり替えるように言われたそうなのですが、高齢者が上り下りするときには、必ず介護者が付きそうということでお許しがおりたそうです。

未だ、この階段で転倒した方はないようです。「身体知」というそうで、身体は「あぶない」ということを察知しているそうです。不合理なことには。

患者さんも「何でもないところで転ぶわ」とよく言われていますよね。

認知症の方は認識がずれていて、そのずれも「おかしいなぁ「」と気づいているそうです。そのずれや自分を守るために、嘘をついたり、隠したりするそうで、人前で恥を欠かせないことが大切だそうです。釈先生は認知症になってもいいかなぁ?と思えるようになったそうですが、私はまだその境地には立てませんが・・・

そして、自然死を迎えた方が9名もいるそうです。自然死を知っている人がどれぐらいいるのだろうか?と思いました。色々な治療を施すほど、死期が分からなくなるそうです。

これからの時代、病院での死から、施設や自宅での死を迎えるようになる中で、終末期医療への意思表明と老病死との向き合い方を自身の身をもって伝えてくれている仏道を学びたいと思いました。

釈先生の新しい本も購入しました。お笑い芸人「笑い飯・哲夫」さんとのテーマ別に解釈されていてとても読みやすい本です。

最近、老々介護に疲れて、病気を苦に、いじめ、うつなど「自殺」が多い日本なので、一番に

「自殺は許される?」から読んでみました。