日本でも音楽を聴く方法の1つとなっている《ストリーミング》。よく分からない方も未だにいるとは思うが、要は一定の月額料金を支払うことにより管理されている楽曲が好きなだけ聴くことが出来るというサービス。移動にも音楽が手放せない方や常に音楽のある空間で仕事や生活している(したい)人間にはうってつけと言える。

 当方音楽ブログを展開しているにも関わらず、音源入手方法としてはCDからパソコンに直接取り込むアナログ方式なので、ストリーミング以前に《配信》あたりから敬遠している。媒体として物理的に手元にないと不安という訳ではないし、ストリーミング・配信を真っ向から否定する気は無い。


 この状況で何が不満かというと、多岐にわたる選択肢の存在する環境であるということ。CDという媒体がいわゆる基本、たとえば配信だけで提供する場合は「限定」という言い方をする。ストリーミングだけでしか聴くことが出来ないという事はほぼ無い。

 正直、新たな方法が出現した時にCDから替わるよう完全移行する形になれば良かったように思う。個人的にCDという媒体に愛着があって、ディスクそのものの製造が激減した時の関わっていた人間に対する憂いはある。扱う店舗に関して言えば大手はそれなりに対応するだろうから特に心配しないが、個人経営の「CDショップ」がもし今も現存するならばそこは心配する。

 しかし酷ともいえる切り替えをすることで自ずとシステムが構築され、市場が伸びるというものではなかろうか。それと同時にCDにおける価値観も変わってくる、率直に今はいい加減安く見られ過ぎている。


 日本におけるストリーミングの市場規模というのは昨年でいえば約260億円。ここ2年で見れば倍ということにはなるが、毎年「割増」程度に伸びるというのがいいところで決して飛躍的に伸びているとは表現できない。アメリカと比較するのは〈入る容器〉が異なるのかもしれないがそれでもおよそ日本の20倍近くの市場規模、何より伸び方がまるで違う。

 市場規模の伸びを欠くその原因は管理されている楽曲、ぶっちゃけ入れて良いよという〈解禁〉をしていない日本のアーティストが割と多い現状がそこにはある。この点は当方正直あまり知らなかった部分で、大物と呼ばれるアーティストが何組か解禁して業界が「オオッ」となったのがつい最近の話というのだから、つまりはまだその段階でしかない。[月額XX円で10万曲聴き放題]などと宣伝されたとして、10万曲というのは聴く数としては膨大だが選択できる数としては必ずしも多いとは言えなかったりするのである。

 解禁しない理由と直結しているのかどうかは分からないが、ストリーミングでのアーティストに入るロイヤリティが低すぎる。この点は以前から懸念している上に、警鐘を鳴らすアーティストさえいる。まだ配信やレンタルによる使用料の方がマシというのが今の一般論。著名なアーティストであれば当然聴いてもらえる回数も多いが、それでもあくまで他の媒体での収益にプラスされる程度。


 スッとCDにとってかわるシステムに移行しなかったがために、ディスクを含めた作品そのものの価値が全く上がらない。売れなかった作品は当然のこと、限定盤ですらプレミアはほとんどつかない。単純に生産数が多いのは百も承知だが、CDに収録されている楽曲は音源として確保できればそこでOKという理論がまかり通っている。


 音楽用記録媒体としてCDのあとにMDが出現した時はそれなりの衝撃を受けた。当時カチャッとセットする他人の様を見て羨ましがり、再生機器をいつか手に入れることを夢見ていた。これが新曲収録の媒体として定着すれば、それなりに省スペースで沢山の作品が置けたはず。横や上から見たラベル部分は見にくいかもしれないが、それは縦シングル時代もそうだったので違和感はない。

 しかしMDはCDにとってかわる事はなく、当方が手にする前に姿を消していった。またダウンロードによる配信も携帯電話の音楽機能内在化に伴って積極的に進められたが、一方で違法ダウンロードに対する対策が十分とは言えず全体の半数を占めるという失態を露呈した。


 新たなトレンドは海外から発信されるのが大抵。敏感と言おうか、そういうものにすぐ食い付きたがるのが日本でもある。海外で広まっているから従わざるを得なかったのか、それともただホイホイと乗っかったのか。音楽作品の見方や市場における溶けこみ具合が他と異なることを本当に考慮して取り込まなければならない。(完)