こんにちはヒロです。
先日、映画『マイケル』を観たことは
お伝えしました。
今日は少し別の視点から
感じたことを書いてみたいと思います。
マイケル・ジャクソンの
パフォーマンスを思い浮かべると
特徴的な動きがいくつもあります。
その中の一つが、歌っている最中に
股間へ手を当てるポーズです。
観る人によっては少し気まずさを
感じる動きかもしれません。
実は昔、オプラ・ウィンフリーがマイケル本人に
「なぜそんなことをするの?」
と質問したことがあります。
その時のマイケルの答えが
とても印象的でした。
彼は、
「音楽がそうさせるんだ」
という趣旨のことを語っていました。
何かを狙っているわけでもない。
計算しているわけでもない。
ただ音楽が流れてくると
身体がそう動いてしまうのだと。
もちろん、これが本音だったのか
どうかは分かりません。
けれど僕は、この言葉に妙な
説得力を感じるんです。
なぜならマイケル・ジャクソンという人は
普通の思考だけで創作活動していた人には
見えないから。
曲作りもそう。
ダンスもそう。
インタビューでの
発言を見ていてもそう。
彼はどこか
自分で考えて創作しているようでいて
何かを受け取って表現しているようにも
見えます。
もちろん技術や努力は
常人のそれを超えるでしょう。
けれど、それだけでは説明できない
何かがある。
思考した末のさらに奥。
あるいはその結果行き着いた
思考の前。
そんな領域から
表現が生まれているように感じるんです。
そして映画を観ながら、
ふとAIのことを考えました。
今、AIは驚くほどの速度で進化しています。
文章も書ける。
絵も描ける。
音楽も作れる。
映像さえ生み出せるようになっています。
その能力には本当に驚かされます。
僕自身も日常的にAIを活用することも多いですし、
その可能性には期待感も持っています。
ただ、その一方で考えるんです。
もしマイケルが言うように、
「音楽がそうさせる」
という世界があるのだとしたら。
そこには人間にしかできない
何かがあるのではないだろうか、と。
AIは膨大な情報を扱うことができます。
論理的な整理も得意です。
けれど、言葉になる前の衝動。
理由の分からない感覚。
説明できないけれど
確かに存在する情動。
そういったものはどうなのだろう。
少なくとも今の僕には
それが人間の持つ大切な領域のように
思えます。
一言で表現するなら
「感性」なのかもしれません。
ただ、感性というと
誤解されやすい気もします。
感性だけがあればいい
というわけではありません。
思考だけあればいいわけでもありません。
感覚と理性。
感性と思考。
それら両輪があって初めて
人間の可能性は開かれていくのだと思います。
そして感性は放っておいて
育つものでもありません。
美しいものに触れること。
違和感を大切にすること。
心が動いた瞬間を見逃さないこと。
そうやって少しずつ磨かれていくもの
なのかもしれません。
AIが発達する時代だからこそ
僕たちはAIにできることを学ぶだけではなく
人間にしかできないことにも
目を向ける必要があるのでしょう。
AIと競う必要はありません。
否定する事も無意味です。
であれば上手に力を借りればいい。
そのために
自分の感性や創造性を育てていく。
そんな付き合い方ができたら
面白いなと思います。
マイケルの
「音楽がそうさせる」
という言葉から、そんなことを考えていました。
もし興味があれば、こちらの動画でも
AIと人間についてお話ししています。
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『AIに対する思いと人間との類似性』
(8分10秒)
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https://youtu.be/gDTadM8yFI8
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