「必然の出逢い・・・」 | 女性の活躍を応援!情熱社長のビジネス日記

「必然の出逢い・・・」

人生の中には・・・

忘れられない、
いや
忘れてはならない出逢いがある。

一昨日、45歳でこの世を去られた社長の
「偲ぶ会」に参加させて頂きました。

伝えたいメッセージの10分の1も
伝えられなかったです。

今回私の思いをブログに書かせて頂きます。

長文になりますが
お読み頂ければ幸いです。

脳腫瘍の手術を4回もなさったと
部下の方からお聞きしました。

いつも明るくて
家族を愛する方でした。

何よりもご両親を尊敬し
弟さん、妹さんを大事にし、尊重される
そんな姿勢が私は好きでした。

家族を大事にする方こそ
人も大事にすると思うからです。

当然社員に対する思いも強い。

会社経営においても
仕事にたいしては厳しく

人には優しく思いやり溢れた
そんな社長でした。

出逢いは平成15年の2月

新宿3丁目界隈を
雨の日に飛び込み営業していた時です。

その当時、手にしていた傘の色まで私は
鮮明に覚えています。

冬場のコートと傘を持ちながらの
飛び込み営業・・・

ビルを見れば片っ端から飛び込んでいた頃・・・

「はじめまして私社員教育研究所の
朝倉と申します。

本日は御社の教育担当者の方とぜひ
ご挨拶をさせて頂きたいと思い参りました。」

「ご面談のお約束はございますか?」

「面談の約束はいただいておりません。」

「ご面談のお約束のない方とは
お取り次ぎはできません。」

「かしこまりました。
それでは後日改めてお伺いしますので

その際はどなた様にご連絡すればいいのかを
お教え頂けませんか?」


「○○をお訪ねください。」


「はい、かしこまりました。」


(本来であればここで
失礼があってはいけませんので、○○様はどのような
お役職をなさっていますか?

と、役職まで聞くのですが、その時は役職を聞くのを忘れました)

社に戻り、すぐに電話をかけました。

そしてお聞きしたお名前の方を指名すると・・・

「○○は3人おりますが・・・」

と返答が・・・


「教育担当者の○○様を
お願いします。」


という運びで巡り会えたのが
当時の専務様

その時、私は35歳・・・
入社して間もない頃・・・

やっとの思いで入れた会社で就いた仕事は営業職

1か月以内に契約がとれなかったら
辞めよう。そんな気構えでやろう!と
心に誓っていました。

当時・・・
○○社長は肩書きが専務で30歳でした。

ありがたいことに
初の研修は3月に決まりました。
鬼怒川での店長研修


嬉しかったです。

営業にとって
初めての契約は絶対に忘れられないといいますが
本当です。

その初受注がなかったら今日の私はいません。

その際に厚かましくも
「最低3年はお付き合いください。
5000万投資してください!」

と本気で思いをぶつけました。

そして
本当にお付き合いくださいました。

当時の店舗数は9店舗

3年間で18店舗に

そして社員数も倍になりました。

私の自慢のお客様でした。

渋谷の109の地下の大ブームを作ったのが
まさにその自慢の企業様です。

若い世代の方は皆知っている有名店です。


以前の会社を辞めた後も
ずっと応援してくださいました。

本当にいつも
健康管理を心配してくださいました。

「朝倉さんはすぐ無理をするから・・・
絶対に無理をしたらダメだよ。

健康が第一だよ。
仕事も大事だけど健康を害したらそれ以上働けなくなるんだよ・・・」


きっとご自身が大病をなさっているからです。

本当にめぐりあいとは不思議です。

これが必然の出逢いであったと
後になって思いました。

二度目の手術の際は
今から7年前になります。

もしかしたら
もう二度と会えなくなるのではないかと
慌ててお見舞いにいきました。

当時の塾生は覚えている人もいるかもしれません。

母の胃ガンの手術と重なり
二重の心配に眠れない日々が続きました。

その後手術は見事に成功

病院にお見舞いに行ったときお母様とも
お会いできました。

優しい笑顔の穏やかなお母様の表情が
非常に印象的でした。

お父様、弟さん、妹さんとは
既に会社で何度もお会いしていました。

考えてみるとご家族全員とお会いしていることになります。


偲ぶ会でまともに話せず
最後のご挨拶の際に

お母様が、「朝倉さんですね・・・」
とお声をかけてくださいました。

覚えてくださっていました。

涙でぐちゃぐちゃになっている私を見て
妹さんが
「もう泣かないでくださいね・・・」

とおっしゃいました。

弟さんは
「お久しぶりです。何度かお目にかかっていますので
よく覚えています」とおっしゃってくださいました。

会長であるお父様とは
営業で4年半会社に通った際によくお会いしていましたが挨拶をさせていただくだけだったのです。

ところが5年前に経堂のお寿司やさんでご一緒させて頂いた
ご縁もあり、言葉は何もかけられませんが

目だけを見て感じるものがございました。

親よりも先にこの世を去ることが最大の親不孝である・・・

社長は家族を愛し
社員を愛し
お取引先や関係者様を大事にされた

故人を偲び数々の人が
スピーチやおくる言葉を語られましたが

やはり人柄の良さがその
メッセージの中でたくさん語られていました。

思い出すと

こうやって思い出しながら
ブログを書きながらも泣けてきます。

一生私の心の中で社長は生きています。

一緒に朝まで飲んだ新松戸の飲み会
(私は途中で仮眠・・・専務は皆とコロッケ談義)

本八幡のお寿司やさん、
新宿の焼き鳥やさん

大好きなラーメン屋さん
上海の見聞ツアー

数えきれないほどの面談

以前の会社を辞めた後もずっとずっと
応援してくださいました。

後悔しているのは・・・
偲ぶ会でも申し上げましたが

新規開拓設立後の7年は・・・
年に一回もあっていなかったこと

今年はいよいよ大事な人達とまた一緒に飲もう
と決めていました。

よし、お声をかけたいな・・・

と思った矢先の訃報

しかも巡りあった新宿で一日に二回講演を
担当した3月6日にその訃報を耳にしました。


不思議と
この日の講演は2本とも収録しています。

講演と講演の間に届いた訃報

きっと今回の録画には大きな意味があると
私は感じました。

偲ぶ会で部下の方が作って下さった
手作りの映像を見て

記録と記憶に残すことってやっぱり
大事だと思った。

お母様が手作りで作って下さったアルバムを見ながら
また涙が止まらなかった・・・

人の真価はどんな時にわかるのだろう?

愛されていた人であるとは
やはりその人がこの世からいなくなってわかるものがある。

いかに大事な存在であったかも
後でわかることもある

もっとあっていれば
もっと逢いたいとお声をかけていれば・・・

後悔を覚える

大事な人を大事にするとは
どういうことをすればいいのか?

私は今一度深く考える

社長が私に教えてくれたこと

どんなしんどい時でも
明るく振る舞う

決しておごらない
誰にたいしても同じ姿勢態度で接する

仕事は真剣に
プライベートは楽しく・・・

またいつの日か一緒に
飲める日を夢見て・・・

慎んでご冥福をお祈り申し上げます。

社長のぶんまで懸命にいきます。。。
必然の出逢いに心からお礼申し上げます。

忘れられない
忘れたくない

そんな存在と出逢えた奇跡に感謝します。

私の最初のお客様であり同志・・・

本当に出逢いに心からの
お礼を申し上げます。


ありがとうございました。

私はさようならという言葉は嫌いです。

だから
誰にも使いません。


今日の一言
『巡り逢える幸せは、時に大きな悲しみも一緒に運んでくる・・・』


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