水をめぐるあれこれ
水に限らず、
あらゆるものについて言えることですが、
その時にちょうどよいバランスに落ち着くことが、
うまくゆく時と、
なかなかてこずる時と、
いろいろです。
いま、私がてこずっているのが、
水分。
湿度の高い時期と、
満月にむかう時期があわさって、
体内の水分調整がむずかしい。
私は、
自分の体内でつくる熱は好きだけれど、
体外から加えられる熱が苦手な体質。
何かを排出したいときには、
水分を多めに摂って、
身体を動かして排出する体質。
多めに摂った水分を排出しきれないと、
途端に身体が重くなる。
そんな体質なので、
湿度の高い時期や満月に向かう時期に水分調節が崩れると、
すこしつらい。
今まで梅雨の時期は、
雨の降る中傘をささずにひたすら歩いたり、
雨の日にサーフィンしたり、
強めにヨガをしたり、
快適に調整してきました。
それは、爆発事故以前のこと。
日々着実に被曝中で、
体力も落ちている。
雨による被曝も、できれば避けたい。
もうすでに充分被曝しているから。
でも身体は、
爆発事故前よりももっと、代謝したがっている。
以前はそれほど必要なかったお醤油やお塩も、
必要としている。
これは当たり前のこと。
そして、爆発事故以前よりももっと、水分を必要としている。
これも、私の体質では当たり前のこと。
どうしたらいいのかな、
と思っていたら、
がくっと食欲が落ちた。
食べたくなければ、食べないでおこう、
と一週間少食にしてみたら、
途端に調子がよくなった。
穀物菜食でも、
生菜食でも、
少飲少食が基本。
身体を空の状態に近づけると、
本当にほしいものがわかる。
青汁がとてもおいしかった。
基本に立ち返って分かったのは、
あることで困っているのなら、
あることを呼ぶ原因に思いを巡らせるといいということ。
私の体質では、
いくら被曝で身体が陰性に偏っているとはいえ、
「塩分」で中庸に戻すには強過ぎて、
薄めるために「水」を欲してしまう。
きっと、身体は危機を感じて、
中庸に調整して、と信号を送っていたのを、
まだ鈍感な私は、
身体の求めに対して、
「塩分」を選んでいたんだろうと思う。
その「塩分」が「水」を呼んで、
身体が重くなってしまう。
いまの私に必要な陽性は、
ほどほどの「塩分」と、
植物に含まれる「ミネラル」。
青汁で、いまはちょうどよくなった。
日々、こんなことの繰り返し。
身体はおもしろい、と思う夏至の日。
sunekerineco
私の「不安」
「不安を煽る」、と聞くと、
「不安」は悪、という大前提のもとに、
「不安」をとりのぞけばいいんだ、「不安」撲滅!、
のように私には聞こえる。
外から入ってくる、ある特定の情報に対して、
ざわざわした落ち着かない気持ち、
いてもたってもいられない気持ち、
の原因は、
たいていの場合、「不安」が強くなったことが原因。
わかりやすい。
その原因の「不安」は、
外から入ってくる情報が運んできたかのように思えるけれども、
その情報は「不安」の引き金を引くだけで、
内にある自分の感情が「不安」の寝床のような気がする。
ちょっと、わかりづらい。
外から入ってくるある特定の情報に対して、
自分の「不安」が強くなったり弱くなったりする様子を見て、
なぜ、
この特定の情報に対して自分が「不安」になるのか、
自分の内を見つめてみる。
『どうして、この外からの情報に対して、
私の「不安」は強くなるんだろう?』
そうすると、
自分が自分にしてあげるといいことが、
はっきりと見えてくる。
「不安」は善悪では語れない、
大切な私の目安。
「不安」を目安と捉えれば、
「不安」が私に与える強い影響に圧倒されて、
無理矢理「不安」を無視したり、
「不安」のあまりに心をさいなまれたり、
自分の「不安」のストレスを他人にぶつけたり、または自分を遮二無二頑張らせ過ぎたり、
そういうことをしなくなるんじゃないか、
と私は思っています。
当たり前だけど、
「不安」は、
大切な私の一部。
sunekerineco



