幸于紀伊国(きのくに)に幸しし時に、川嶋皇子の作りませる御歌 或は云はく、山上臣憶良の作

0034白波(しらなみ)の 浜松が枝(え)の 手向草(たむけぐさ) 幾代(いくよ)までにか 年の経(へ)ぬらむ【一は云はく、年は経にけむ】
川嶋皇子


日本紀に曰はく、朱鳥(あかみとり)四年庚寅(かういん)の秋九月、天皇紀伊国に幸(いでま)す」といへり。


【折口信夫訳】白良の濱に來ると、濱松の枝を結んで、道の神へ御供へとして奉つてある。(この近くの岩白では、わが友有間(ノ)皇子もせられた。)いつの時代まで、なし傳へるつもりで、今までも續いて來てゐるのだらうね。


【愚訳案】
白波の寄せる この浜の松に
結んである 手向けの幣
どれだけの年月が経ったのだろうか
こんなに ぼろぼろになって



●原文
幸于紀伊国時、川嶋皇子御作歌 或云、山上臣憶良作
白浪乃 浜松之枝乃 手向草 幾代左右二賀 年乃経去良武【一云、年者経爾計武】
日本紀曰、朱鳥四年庚寅秋九月、天皇幸紀伊国也