(ひろせのおおいみのまつり)は今の広瀬大社(奈良県北葛城郡)のお祭りで、風水害のないよう、また豊作を祈願する性格のものです。
 広瀬大社は崇神天皇の頃に創始され、龍田大社とともに「広瀬の水神、龍田の風神」と併称されて尊崇をあつめてきました。

 両社ともに毎年四月・七月の四日、このようなお祭りを行って来たとのことです。今年の場合、来月の六日が旧暦では四月四日にあたり、立夏にもあたっています。古い記録でも初夏に行うこととなっていて暦の上ではよく一致していますが、夏といわれてもまだピンときませんね。
 それはともかく、どんな祝詞がよまれていたのか。訳してみたいと思います。


川の流れがあつまる
この広瀬の地にて
ことばを尽してお祭りいたします

清らかな神々のみ名を申し上げます


お食事をつかさどる
ワカウカノメノ命とみ名を申し
ことばを尽してお祭りいたします


天皇陛下の立派な幣帛を
捧げ持たせた王・臣を使としまして
お祭り申すことを神主・祝部どもは
よくお聞きなさいとの仰せである


献る立派な幣帛は
お召し物の布としまして
明るい色の布 きらきらした布
ごわごわした布 つるつるした布
五色のもの そして楯 戈 御馬


神酒はなみなみと 酒器を満たして並べ
精米した稲も 穂のままの稲も

山に住むものは
毛のつるつるしたもの 毛のごわごわしたもの

大きな野原に生えているものは
甘い野菜 辛い野菜

広々とした大きな海原で取れるものは
ひれの大きな魚 ひれの小さな魚
沖でとれる海藻 岸辺でとれる海藻


そこまでいっぱい案の上に並べ献りますと
清らかな神様に申し上げよとの
天皇陛下のご命令である


こうして献ります立派な幣帛を
安らかで満ち足りた幣帛であると
平安なおこころでお受けくださいまして


天皇陛下の朝夕のお食事として
幾久しく お顔のお色も麗しく
お召し上がりになります
神様の田を初めとし

親王・王・臣らや天下の公民が作る稲
肘に水の沫が飛んでかかり 腿に泥がはねる
そうして作る稲を 豊作になさいましたなら


稲穂をいっぱい据えて
横に広い山のように積み重ね
秋のお祭りに献ります


このように
清らかな神様に申し上げよとの
天皇陛下のご命令である


大和国の六つの御県
その山のふもとにいらっしゃる
清らかな神々の前にも


天皇陛下の立派な幣帛を
明るい色の布 きらきらした布
ごわごわした布 つるつるした布
五色のもの そして楯 戈を献ります


こうして献りましたなら
神々のお治めになる山々のふもとから
滝のように下しなさる水を
すばらしい水と受けとめ


天下の公民が作る稲を
悪い風や荒い水にあわせなさらず
ワカウカノメノ命が
豊作になさいましたなら


初めてとれた稲穂を
穂のままでも 酒とかもしましても
なみなみと酒器を満たして並べ
横に広い山のように積み重ねて献りましょう


王や臣 百官の者どもを初め
大和国の六つの御県の刀祢
男女に至るまでに


今年の某月某日
それぞれがお参りにきて
清らかな神様の前に
鵜のように首を曲げて拝礼し
この朝日がぐんぐん昇るときに
ことばを尽してお祭り申し上げることを
神主・祝部どもみな、よくお聞きなさい



●参考
青木紀元『祝詞』(おうふう)による

広瀬の川合に称へ辞竟へ奉る皇神の御名を白さく、御膳持ちする若宇加の売の命と御名をば白して、此の皇神の前に辞竟へ奉らく、皇御孫の命のうづの幣帛を捧げ持たしめて、王臣等を使として、称へ辞竟へ奉らくを、神主・祝部等諸聞き食へよと宣ふ。
奉るうづの幣帛は、御服は明妙・照妙・和妙・荒妙、五つの色の物、楯・戈・御馬、御酒は瓶のへ高知り、瓶の腹満て雙べて、和稲・荒稲に、山に住む物は毛の和き物・毛の荒き物、大野の原に生ふる物は甘菜・辛菜、青海の原に住む物は、鰭の広き物・鰭の狭き物、奥つ藻菜・辺つ藻菜に至るまで、置き足らはして奉らくと、皇神の前に白し賜へと宣ふ。かく奉るうづの幣帛を、安幣帛の足幣帛と、皇神の御心に平らけく安らけく聞こし食して、皇御孫の命の長御膳の遠御膳と赤丹の穂に聞こし食す皇神の御刀代を始めて、親王等・王等・臣等・天下の公民の取り作る奥つ御歳は、手肱に水沫画き垂れ、向股に泥画き寄せて取り作らむ奥都御歳を、八束穂に皇神の成し幸はへ賜はば、初穂をば汁にも穎にも、千稲・八千稲に引き居ゑて、横山の如く打ち積み置きて、秋の祭に奉らむと、皇神の前に白し賜へと宣ふ。
倭の国の六つの御県の山の口に坐す皇神等の前にも、皇御孫の命のうづの幣帛を、明妙・照妙・和妙・荒妙、五つの色の物、楯・戈に至るまで奉る。かく奉らば、皇神等の敷き坐す山々の口より、さくなだりに下し賜ふ水を、甘き水と受けて、天の下の公民の取り作れる奥つ御歳を、悪しき風・荒き水に相はせ賜はず、汝命の成し幸は賜はば、初穂をば汁にも穎にも、瓶のへ高知り、瓶の腹満て雙べて、横山の如く打ち積み置きて奉らむと、王等・臣等・百の官の人等、倭の国の六つの御県の刀祢、男女に至るまで、今年の某の月の某の日、諸参り来て、皇神の前にうじ物頚根築き抜きて、朝日の豊逆登りに称へ辞竟へ奉らくを、神主・祝部等諸聞き食へよと宣ふ。