六日の日曜日は外に出かける祭事が多く、なかなか多忙でした。こうして外でのご奉仕が多くなって来ることでも、春が近づいているのを感じます。

 また、その内容から言っても、珍しい日でした。
 午前中には一件もなく、この日の五件のご奉仕の内容が、すべて違ったのです。逆に言うと、午前中に予定が詰まり、いくつか同じ祭事がある、というのがどちらかと言えば普通なのです。具体的には、こうなります。


 12:00 地鎮祭
 14:00 家祓
 15:00 人形供養祭
 16:00 月参
 16:30 厄祓


 月参(つきまいり)は以前の当社神道会会長さんのお宅で、お寺さんでいうと祥月命日のお参りになるでしょうか。余り私にこうした祭事は割り振られないですし、よく知っている方のおうちにお邪魔するというのが新鮮でした。


 人形供養祭は、宮司が風邪でダウンしたため私が斎主をつとめさせていただきました。もう一週間くらいになるのですが、風邪をひいてからお互いに近づいていません(笑)。普段稼動している神職は私と宮司だけですから、どっちもダウンしたら、かなり困るからです。


 斎主は祝詞を奏上しますので、前日の午後に急いで作りました(専門的には、これを祝詞と呼ぶかどうかは議論の分れるところで、祭詞と呼ぶのがむしろ適切かもしれません)。いわく、


 この湯庭に坐すここだの御魂はや。
 あるは蒼人草の心を和ましめ、
 あるは夜の守、日の守に守り給ひて年頃経ぬるが、
 今度汝御魂を遷し奉る事とは成りぬ。
 故、式の随に祓へ清むる大麻の音、すがすがしく有らずや。
 謝び労ふ心の手向と献る玉串、甘らに有らずや。。
 斯く仕へ奉るを承け給ひて、
 今ゆ往先、
 山川の清き明き処に遷り出で坐せと鎮め奉るを、
 穏に聞き給へと申す。

 この祭場にいらっしゃるたくさんのみたまよ。人々の心を和ませたり、守ったりして長年経っておりますが、このたび、あなたたちみたまを遷し申し上げることとなりました。そこで、きちんと決まりのままに祓え清める大麻の音は、すがすがしくありませんか。感謝し、ねぎらいの心のしるしと手向ける玉串は、よいものではありませんか。このように、お祭りをお仕え申し上げるのをお受けなさって、これから先、山や川の清らかな明るいところにお遷りくださいと鎮め申し上げるのを、穏やかにお聞きくださいと申し上げます。


 人形供養の「供養」はやはり仏教のことばですけれど、一般の方にとって分りやすいですので、こう申しております。供養でしたら、ご本尊にお経をあげ、その功徳が人形に回向されるという形になるのではないかと思います(門外漢なので詳しくは分りません)。ご神前で祝詞を奏上して「お願いします」というのなら仏教と似た形になる訳ですが、この人形供養祭は大前、つまり当社の拝殿で行うのではなく、人形などを前にしての祭事なのです。
 
 そこで私としては「鎮魂祭」としてご奉仕しました。「鎮魂」の「鎮」(しずめる)は、古くからの考え方からすると、御魂をあるべきところに落ち着けるということで、ここでは「山・川」の「清き明き処(ところ)」に落ち着いてくださいと、お願いしております。