およそ神社という神社、土日や祝日が休みというところはないのでは、と思います。もちろん、参拝者の方々がお休みの日にいらっしゃることが多いからです。


当社においても同様、年中無休でやっております。


さて、また最近気になる言葉を。


●とか●


けっこう歴史のある言葉です。


①AとかBとか……


イ)大きなお祭りのときは、冠とか袍とかをつける。
ロ)バナナ売りとか大道将棋とかの店がある。


イなら「つけるもの」を、ロなら店の種類を並べています。同じタイプのものなら、どんどん続けて行くことができますよね。ロなら「射的とか見世物小屋とかスマートボールとか型抜きとか……」


この①が本来の用法だと思いますが、並列しない表現もあります。


②Aとか


ハ)侍とかがテレビに出ていた。

ニ)フー=マンチュウとかいう人がテレビに出ていた。


ハを聞けば、侍以外にもテレビに出ていたんだな、と思います。ニは「とか」の「か」がこの場合、疑問であるのを明示していますよね。つまり、話者にとってその人が本当にフー=マンチュウであるのか、はっきりしていません。「という人」ならば、けっこうはっきりしてきますし、完全にそうだと思っているなら、「フー=マンチュウがテレビに出ていた」というはずです。


はっきりしないことから、次のような伝聞の用法もあります。


ホ)それからどんどん家が栄えて、幸せに暮らしたとか。


ずいぶん昔、某予備校の現代文の先生が、①以外の用法を認めず、そればかりか「とか」の語感が嫌いだから私は使わん! と仰っていました。ところがこの②の用法は、けっこう前から使われてきているようです。

若者言葉ではないか!


最近の若いもんは!


現代文の先生はそう思っていたのでしょうが、見当違いだったんですね。


「とか」の歴史を調べるのが本題ではないのでもとに戻ると、私は、


「映画とか観る?」


などの「とか」が気になります。やっぱり「とか」はいらんべさ、と思います。


上記②ハのような用法で、何か他に観るものがあるかもしれません。また、映画を観たり、お茶をのんだり、公園のベンチで語り合ったりしようではないか、という場合もありましょう。


いずれにせよ、はっきりしないわけで、断られた場合のダメージを極力おさえるために、わざとぼかしているんじゃないでしょうか。


その言葉の受け手との関係を円満に保つために断言を避ける、という「内容」が、以前からあった「とか」の「形式」に、ちょうどぴったり収まったものなのでしょう。