今まで本当に辛いことだらけだった。
身体的、精神的、社会的に、数多くの人間から傷つけられてきた。
幼少期の北海道内の教育委員会からの判断、判別は、まず一生忘れることは無いだろう。
それでも赦すようにしようと思ってきはじめた。
1人の人間を枠内に当てはめるような判断しかできず、
通常の小学校から、養護学校に入れさせられそうになった事実は忘れない。
確かに協調性は無かったし、当時5~6歳の児童と「わーわー」分かち合うことなんてバカバカしいと思っていた。自分は子供らしい子供ではなかったのだ。俺自身も6歳だったが…。
それは幼少期でもハッキリと覚えている。
俺は自分の意志で30人くらいいる児童集団から、1人になると決めて、ただ集団から離れただけだ。だってとってもつまらないし、あまりに子供じみた言動しかとっていなかったから。
俺自身は冷静に見極めようとしていただけだ。
それが教育委員会には異様に見えたのだろうな。
ぽつんと1人で居て、子供らしくない対応をしていたことに変だと感じた。
まあそんだけの理由しかないんだろう。今考えてみてもそう思う。
枠に当てはめるやり方で、短時間で判断/決断をしなきゃいけないのであれば、そう決まってしまっても仕方ないんだと思う。だからこそ、当時、決断した人間は、愚かではあったかもしれないが、当時は最善の決断だったのだろうなとは思えるようにはなった。
実際の自分は、その出来事があり、北海道から福岡へ、急遽引っ越しすることになった。
両親が激怒していたのは言うまでもないが、6歳くらいで、あまりに馬鹿みたいな出来事に巻き込まれたことは事実だった。
結局、小学校には通えた。
はた目からみたら、内向的でおとなしい子供。
福岡ではそんな評価だった。
俺自身が人間不信である根本原因は、この出来事からきている。
結局、人生は運否天賦でしかないと、6歳で、既に悟ってしまったのだから。
人生の順番と出来事が全く逆なような気がするが、赦すことが出来ない限り、このよく分からなかった事実に一生振り回されることが分かってきた。
だからこそ、誰かに赦しを乞うのではなく、自分自身で赦せばよい!