意味を大切にしすぎると

誤解しやすい言葉が


気持ち


という概念。



私は

女性が大切にしがちな


心、気持ち



という概念に対して

少し距離を離してみている。



私の言葉であれは


素直な(没頭)状態になれるキッカケ

大事な身体感覚


と言い換えてます。



このあたりの

美しそうな言葉も


人によっては

概念化していて



「やりとりされるもの」に

なってしまっているので



(頭の中で生きることに)

執着しやすくなる。




私は

頭の中で考える

言葉、心、気持ち

ではなく



「この身体で感じられるもの」を

大切にしていきたい

と思っているので



一見、同じような状態

であっても



頭の中(脳)に血流が

いきすぎて


考えて

そうなっている状態ならば



本当の心
本来の気持ち


ではない気がする。



概念(考え)によって凹み

概念(考え)によって喜ぶ



という人間社会域の物語を

出てないからだ。




覚えた、共通の

概念や言葉や思考によって

人は


自分達にわかりやすい物語や

説明をつくるので


世界は理解しやすいものとなる



しかしそれを


上手く利用できない場合



そこで生まれた認識や作品は

概念(考え)の域をでない。



社会的な

自分の考える意味としての

あの心、あの気持ち、あの物語を

表現するだけで終わってしまう。



私も

お客さんに対して

見易いものを作るために



ストーリー化したり
擬人化したり
言語化したりするんだが



結局

身体感覚で感じている状態(抽象)に

変換できないと


共鳴(感動)はおこらず

ライブ感、芸術性は出ない。




ただ一つの「身体感覚状態」

になることが

表現の、人生の理想。



脳を

臓器の一つとして

全身の神経を使うのか



脳内の神経伝達のみ(マトリックス)で

生きるのか?



認知(安心、感覚)できるものの

幅が広い生き方はどちらか?


答えは出ている。




何に対してでもいいので

どんな手段でもいいので



頭(考え)を外し


「状況」に対して


身体を集中させる。


そこ(現場)で生を引き出す


偏ったバランスをとらせる



すごくいいバランス!



昨日まで国立美術館でやっていた


現展(現代美術家協会の展示)に


出展されていた作品の中で


私に響いたものの一つ


https://www.nact.jp



言葉でも概念でも絵でも



何を使ってもいいが



一つの身体感覚になるには



変化(動き、立体)に対する感受性


(負荷、刺激に対する認知力、底力)




自分から


引きずり出すこと


使わせること



その機会が


(やっと)大切だと思えた 笑




つづく。