『浅草』は今、大きく変化しつつある | 未来を語る新宿老人党

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2014.08.17               

 1.老人と若いヒトと外国人がともに愉しむマチ「浅草」 

・この新年は久しぶりに「浅草詣」をした。昔、小学生時代の正月には田舎の親類が来て何回か浅草六区街に遊んだが、実に60年ぶりに現役時代の友人・老人たちと「過去・現在・未来」を語り合った。

・まず、ビックリしたことは「若いヒト」が少ないことだ。私たち老人の行動範囲が狭いからでもあろうが、「雷門」界隈で会うヒトは中年以降のご夫婦連れが多かった。当然ながら、「若いヒト向けのケーキやさん」はない。横道に行けば、いま風のカフェ・レストランはあったろうが。どうも浅草は年齢別のマチづくりができているようだ。

・また、「外国人」が少ないことにも驚いた。テレビでは「世界からの観光客で賑わっている」と報じられるが、私たちが訪れた「曜日・時間帯」がズレていたのであろうか。もしかすると、「浅草のマチ」は今、「雷門」だけでなく、東の「隅田川からの水上バス」、「アサヒビール」、「スカイツリー」へ、西の「国際通り」、「六区」へと横に広く拡大しているのだろう。

・中国語会話は聞こえたが、多分「台湾人」であったろう。いまの安倍の外交のお蔭で、中国・韓国系の観光客が激減している状況だった。

・観光バス・はとバスも走ってはいたが、団体で観光する風景には出会わなかった。

 実は、「浅草寺」と「浅草神社」は別々にあった 

・私たちは、老人の観光客ルートにのって「雷門商店街」で買物し、「宝蔵門」をくぐり、「浅草寺」に「初詣」し、新春行事を終わった。

・ところが、仲間の一人が「浅草神社お参りはしないの?」と聞いてきた。彼は、「浅草参り」のご本尊は「浅草神社」だという。浅草寺の東隣に「浅草神社」があることをはじめて知った。多くの観光客は気づかずに帰っている。そこで、「浅草神社に本格的に初詣」した。

・よく調べると、「浅草」にはもともと「観音様の浅草寺」と、「三社様の浅草神社」があった。それぞれの「縁起」によると、二つとも飛鳥時代が起源と競争広告しているが、どうも江戸時代の「神仏習合」による建立と考えられる。

浅草寺は徳川家康によって幕府の祈願所と定められ、いわゆるお上推薦の「江戸文化の中心」として、大きく繁栄した。そこでは「浅草観音」が江戸最古の寺院としてあらゆる階層のヒトビトに親しまれ、年間約3,000万人もの参詣者が訪れる民衆信仰の中心地となっている。

・一方、浅草神社は、三社様と呼ばれ、「三社祭 」の祭神であり地元住民に親しまれてきた。

・それらが、明治政府の神仏分離 により別法人になった。

【たびたびの火災で再建された歴史】ところで「雷門」は、100年間近い間、幻の存在だったとのこと。江戸時代に3度の火災によって焼失し、昭和35年に松下電器の松下幸之助氏の寄進で、現在の鉄筋コンクリート製に再建されている。また、商店街奥の宝蔵門1945年の空襲で焼失したが、大谷米太郎氏(ホテルニューオータニの創業者)の寄進で1964年に再建された。

 実は江戸時代には浅草」と「吉原」は共存するマチだった 

・江戸時代にヒトが集まった「繁華街」とは、「吉原遊郭」だった。そもそも「吉原」の歴史は「日本橋人形町」にはじまり、明暦の大火で「浅草日本堤(吉原土手)」に遷った。したがって、浅草は歓楽街として栄えた。さらに「三ノ輪」に遷った。江戸の粋人が「浅草にお参りに」は「吉原詣」だった。戦後の「売春防止法」によって、「吉原」は廃止となったが、「永井荷風の墨東奇譚」に描かれる「向島・玉ノ井・鳩の街」などに遷って営業していた。すなわち、いま話題の「スカイツリー」の敷地も元は「遊郭・繁華街」だった。「繁華街」とは「元遊郭」だ。だから「下町文化」が育った。

 老人は久しぶりに、「神谷バー」と「駒形どぜう」で昔を愉しんだ 

・私たち、下町出身の老人は現役時代にたまたま浅草に寄ることがあると、「神谷バーにかならず入った。そこでは超有名な「電気ブラン 」にノスタルジーを感じた。その配合は「企業秘密」で明かされないが、私は昔、そのネーミングから「しびれる=やや違法なアルコール」と理解したこともあった。当初は「濁り酒」を売っていたらしい。なおネーミングの由来は、明治・大正時代の「文明開化のシンボル」として、「電気」からの由来という。私たちは、平日の昼時に寄ったが、客は老人が「昼食・飲み物」を楽しんでいただけで、若い女性は少なかった。

・次に、私たちは昔からのお定まりコースである「駒形どぜう」に入った。客は多かったが、やはり、中年以上が多かった。老人は昔ながらの「丸どぜう」を注文したが、いまの顧客は「開きどぜう・柳川鍋」が多いと言う。それにしても、つけ汁が沸騰し、コートが「醤油臭く」なって困った友もいた。