20年近く、仕事のスケジューラーは、ノートと、PCの併用でした。
PCは上司と共有。ノートはそこに自分なりのメモを残しておくという。
PCは簡単に書き換えできますが、前の履歴が消えてしまうので、どうしてこうなったかという経緯がわからなくなりがちですが、ノートには、修正変更後の履歴も残っているので、ノートを追っていけば、過去の経緯もすべてわかるという。そしてPCへの入力ミスも気づきやすいのです(PCだと時間がずれてても気づかないことがあったので)
TODOリストもノートにすべて書きこんでいるので、この案件に関するこれは終わってる、これがまだ、という進捗もわかるようになっています。なにがなんだか?カオス状態で、人にはとても見せられたものではないのですが、
そこにさらに加えて、
仕事に関して、一日の終わりに、「よかったこと」と「悪かったこと」
を書くようにしています。
ポイントは「正直に書く」です。誰に見せるわけでもないので、恰好つけたりしないで「今日のあれは恥ずかしかった」「あれはないと思った」等。
いいこと2行、悪いこと4行みたいになったりもしますが。
で、これが意外と、あとから見直したときによいのです。
一か月後に「あの時のあれって?」となった時に、そのあたりのノートをみると「なんかやばいんじゃないか」とかちゃんと正直にメモってある。そうそう、自分ちゃんと何かを察知してたじゃん、となる。
実は一見素晴らしいことでも、実は引っ掛かる部分があったり、
その時は悪いことでも、数か月たったら良いことへ発展していったり・・・
うまく言えないのですが、「いいこと」の中には、素直にいいこともある一方で、自分の偽善や欺瞞、こうだったらいいなといった過度な思い込みもあるのです。
「悪いこと」の中には、もちろん単なる悪口や愚痴、思いがけず他者から悪意を投げつけられた・・といった唐突なアクシデント、にわかには認められない感情もあるけども、そこには、なにかこう真贋と呼べるようなものも含まれていたりするのです。
人間とはそもそも、そんなものなのでしょうけども。あえてその時点でいいか悪いかで、意識をして書き分けてみると面白い。
ここの回路が達観している人は、いいことの中にも?をみつけ、悪いことの中にも?を見つけることで、総合的に認知が一致し、失敗にも成功にも等しく、素直に感謝をする、ということができるのだと思いますが、
私のような俗人には、まだまだそこまでの修行はできていないので、自分には向いている作業だと思いました。
もう一つは、いわゆる日記帳で、そこにはありとあらゆる自分に都合のよい感情を書き出してあって、まったく整理ができていません。この吐きだすという行為、一つのことを深堀していくジャーナリングみたいなことも、すごく良いとは思うのですが、
仕事に関しては、2行日記のように、端的にまとめて、今の自分に正直に思考を記しておく。これはこれで思考の整理に役立っていると思います。