随分前のゲッターズさんの記事です。

 

いつも心にぐっとくること、本質をかかれていて。

それでいて、元気をいただける。

ゲッターズさんのやさしさは、厳しい忠告の中にも「私にもできるかも」と思わせてくれるところ。

 

自分的には、ダメなところばかりだけども「そうだなあ」とわかる(本当に理解してるかどうかは別としてあせる)部分は、

まだ私にとっての”のびしろ”だと思わせてくれるところです。

 

グルグルまわる苦労と、上に上がる苦労, の2種類の苦労がある。

同じところを不平不満を言いながらグルグル回るのではなく、一段上がる苦労や努力をする(意訳おすましペガサス

 

という部分、そうだなあ、と思います。

 

一段上がるための努力というと、

私の場合は。

やはり、前の職場でいろいろあって煮詰まってしまい。

ここにいてもいずれミイラゲッソリになるまで倉庫かなにかに押し込められるだけの末路しかないと気づき、

転職活動に励んだことです。

 

そのために、遅まきながら、秘書検定とったり、TOEICの点数を上げたり。。

と、転職活動の履歴書に書くものを増やすためのわかりやすい努力を始めたことでした。

 

ただ、そのわかりやすい努力をしてみて。

実は意外と楽しかったというか、「なるほど!」みたいな新たな気づきがあったり。

秘書検定の講座では、うまくできない私を励ましてくれる優しい受講生さんたちとの出会いがあったり。

英語ももはや脳トレというか、ボケ防止によいと気づいたり。

 

転職活動もそりゃもう厳しいものではありましたが、

「意外と世間は優しい?」

「これまでやってきたことが思いのほか通用するかも?」

と自信回復につながった部分もありました。

 

転職後も、「昇進試験を受けよう」と思い立って、無謀にも挑戦をしました。

結果はあと一つというところで、ダメな科目(分野)があったのですけども、

昇進できました。

昇進させてくれたのは職場の計らいであって、点数的に突破したわけではないんですけどね。

 

みっともなくあがいているなかで、いろんな気づきがありました。

自分はまだまだダメだな、この部分がよわいな、ここはもうダメだな・・・

そういう現実を知ることはとても辛くて厳しいものがありますが、

その現実を直視したという経験は、・・・思いのほか楽しかったんです。

 

勉強をしていなかったとき、井の中の蛙だったときは、もちろん、そんなことは全然見えていないので、

なんでわたしばっかり、とか、どうして評価してくれないんだろう、とか思っていました。

評価してくれないのではなく、評価されよう、と自分でリングに上がっていないのだ、ということに気が付きました。

 

リングで滅多打ちにされていても、それはみっともないことではありません。

同じようなところをぐるぐる回るのではなく、

すこしづつ螺旋階段でもいいから上がっていけるような努力をすること.

 

 

リングに上がるとか、昇進試験うける、と書くとなんか、ものすごい上昇志向だとか、好戦的な表現になってしまいますが、

傍からみたとき、それは全然アグレッシブではないことにも気が付きました。

 

例えばパッと見普通の秘書さんでも、ずっと長く続けている方とか、

なにか特に自己主張が強いわけではないのだけど、仕事ぶりが安定している方とかをみていると、

ずっとお茶をつづけています、とか

ずっと英会話通ってます、とか、

それは趣味の範囲とか自分磨きというほわっとした言葉になってるのかもしれないけども、

実際は違うんですよね。

ちゃんとそこで鍛錬をしていたり、ゆがんだ背骨のようなものをまっすぐ糺す意識を持つ、

そのことでいつも安定をしている、おちついている、仕事ぶりの向上につながっている、

ということなのだと思います。