不登校との向き合いから始まった夢「道塾」 | イイコトとの懸け橋「社会貢献探訪記」

不登校との向き合いから始まった夢「道塾」

今日は、NPOではないけれども、


熱い想いのある団体を紹介しますビックリマーク


皆様も学校に通っていた時に、こんな想いを持ったことはありませんでしょうか。

学校に行くのを止めようかな・・・。


私も、そんな想いを持ったこともありますし、友達が不登校になったことも経験があります。


今回紹介するのは、そんな不登校も乗り越えて新しいビジネスを展開している団体です。


その名は道塾です。

http://www.dojuku.com/


こちらの団体の代表の言葉を一部抜粋します。

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「中学から不登校になり、中退しました。そのあと入学した高校もです。


高校を辞める時、周囲から『あいつの人生は終わりだね』という声が聞こえてきました。」

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そうです。

今世の中では、このような価値観が一般的です。


社会という枠組みから外れてしまうと、人生が終わってしまうという観念が大きく広がっています。


彼らは、そんな想いを持ちながらも実際には、「人生が終わる」ことなどなく、むしろ生き生きと活動を続けています。


ここから下は、記事の抜粋になります。読んでみてください!


===朝日新聞 11月23日(日) 社会面(37)===

始まりはパソコンの中だった。

「早稲田への道」。03年7月、インターネットの掲示板にスレッドが立ち上がった。ハンドルネームは「u」。この春、大学に入った馬場が、自分の勉強方を残そうとつくった。

 最初は授業の予習復習方法。次は英語単語帳の効率的な覚え方。数行ずつ数分間隔で次々に書き込んでいく。それがほぼ毎日続いた。

 10日後。受験生が「u」を待ちわびるようになった。

<試しに早稲田の過去問やったらすらすら読めるんですよ!>1ヵ月後には書き込みが相談で埋まった。

 馬場は、顔も知らない「教え子」全員に返事を書いた。自分が必要とされるのがうれしかった。
 <キターーーー!>。「u」が登場すると、スレッドがわいた。<貴男は神です>。いつしか、あがめられるようになった。
 小竹泰誠(20)」が「神」にメールを送ったのは、06年春。当時、津市の高校2年生だった。


<僕もこのとおりにやります>

 当時の成績は学年390人中、下から1ケタだった。有名高校の受験に失敗し、くさっていた。「早稲田への道」を見つけたのはたまたま。半信半疑で、スレッドの英単語暗記法を試した。1ページずつ、脳に刷り込むように読み返す。ただそれだけ。なのに、ふつうなら数ヶ月かかる量の単語が、4日で頭に入った。


<俺は全力で応援するよ>。「u」から、すぐに返事が来た。小竹の心にスイッチが入った。


 実は馬場も、優等生とはほど遠かった。横浜市の私立中学を1年で中退。母の地元の群馬県に移り、公立中学から高校に進んだが、2年で中退した。勉強を強いられることが嫌いだった。


同級生が高3になる頃は、ゲームセンターに通った。退屈。そして無性にいら立たしい。


「おれ、しょーもない位置にいるな」


18歳の2月、早大受験を決めた。難関大学にしたのは、心を熱くする「自分を賭けられる何か」があるはずと思ったからだ。


3ヶ月後に予備校で受けた試験は偏差値が30台。集中力を高める体調管理法を調べ、1日15時間机に向かい、翌春独学で合格した。

小竹はこの勉強法に倣った。


初めて馬場に会ったのは06年夏、壮大のオープンキャンパスだった。

きっと身長は180センチで、服はおしゃれで―――。馬場を待つ間、勝手に創造した。


「よう」。雑踏から現れた「神」は、小柄だった。半袖半ズボンにサンダル履き。この人があこがれた「u」かと思うと、小竹はろくに口が利けなかった。


ネットで称賛される一方で、馬場は、大学では友人にも「u」を」隠していた。幼いころから、人に心が開けない。

中学校では教室の歓声を避け、ベランダで本を開いた。本当は、誰かが話しかけてくれるのを待っていた。大学に入っても、国や社会は語れても、自分を語れるまでに3年かかった。


「おれ『早稲田への道』見て勉強してたんすよ」。大学4年の秋、2年下の後輩に言われた。

「おれが書いてたんだよ」「えっ!」。後輩は驚き、目を輝かせた。合格した教え子に会ったのは初めてだった。

「本当に役に立ってたんだ」。一度口を開くと、教え子はあちこちで見つかった。20人はいただろう。


07年春、馬場は「道塾」を起こす。自分を賭けられるものはこれ。教え子たちの多さが、背中を押した。


「塾を会社化し、回り道した人たちの支援事業も広く手がける」と、周囲に夢を語っている。


今春、スタッフに小竹が加わった。

小竹は今年、1浪して壮大に合格した。志願したのは恩返しのつもりだ。馬場は、教え子が自分に続いてくれたことがうれしかった。

11月半ば、大学近くの居酒屋で、馬場は小竹と席についた。2人で飲むのは久しぶり。ビールで乾杯した。

馬場が尋ねた。

「お前、将来何やりたいの?」

「正直、よくわかんないっすよ」。


小竹は困った顔をした。



馬場は、来春での大学中退を決めている。塾の経営は軌道にのった。自分を賭けられる仕事が見つかった以上、卒業にかける努力を無駄にしか思えない。


きっと、世間的には間違っているのだろう。小竹は大学を卒業するはずだと思う。卒業後も、自分が起こす会社には来ないかもしれない。話しているとそう感じる。


午前0時半、人影もまばらな高田馬場駅の改札で、馬場は小竹を見送った。「塾、頑張ろうな」。決して「同じ道に来い」とは言わない。「はい!」。小竹は力強くこたえ、ホームに消えた。=敬称略(原田朱美)