ビートルズの影響力 | 作曲家 安田信二のブログ

作曲家 安田信二のブログ

作曲家、安田信二のブログです。
音楽を始めて40年経とうとしています。プロになってからは四半世紀が過ぎました。そして、これからも更に音楽人生は続きます。そんなあたしの音楽漬けの日々を書いていきたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。

朝からずっとミックス、、、ひとつやっと終わり、午後からは別プロジェクトやらないと……。

まあ、どうせ表にはでないので、時間はたっぷりあります。

でもその前に気分転換、ブログ書きましょう。

 

あたしが初めて洋楽に目覚めたのは小学校4年生の時。。。。と言う事はいつかどこかで何度かお話してきましたが、「初ビートルズは?」となると、藤沢の小学校から京都の小学校へ転校した、小学校5年生の時でした。

3つ年上の当時中学生の兄貴が、友達から『オールディーズ・ビートルズ』と言うベスト・アルバムを借りてきて、それを聴いたのが最初です。

 

あれは事件でした。

 

それからはもうビートルズの虜です。あと仮面ライダー。

 

寝ても覚めてもビートルズ。あと仮面ライダー。

 

その影響力は計り知れません。

 

憧れのビートルズを目指し、「いつかオレもバンドやるんだ!」

 

あと、「オレも改造人間になりたい」

とも、同時に考えていました。

 

中学に入り暫くするとビートルズは「卒業」。ハード・ロックやプログレッシヴ・ロックにどっぷり。

「ビートルズなんてださいよ!」

まさに中二病(笑)。

仮面ライダーもとっくにソツ量(ホッ……よかった……)

 

それから再びビートルズにハマるのは、あたしがプロのい音楽家になってから。

 

ビートルズの本当の凄さを知ったのでした。

 

 

前回も書いたけど、ビートルズが誕生することで、世界中の音楽業界はガラッと一変します。

 

 

あたしがビートルズを聴いたのはビートルズ解散後、2年してからです。

だから「リアル・タイム」ではないのです。。。。ここが残念。クイーンはもろに「リアル・タイム」なのに……。

仮面ライダーも……もういいね?

 

ビートルズが世に与えた影響は計り知れません。もうありすぎて書き切れない。

 

そう、今あたしはレコーディング中。そっから書いてみたいです。

 

その昔は、ミュージシャンをアーティストと言う言い方はしてなかったと思います。

「シンガー」、つまり歌手だったわけで、演奏をするのは、裏方、楽団かバンド。歌手とそれは別のものだったわけです。

その話は以前書きましたね?それまでは、バンドが単独で歌モノのレコード出すと言うのは殆ど無かったのですが、ビートルズが最初にバンドとして歌モノのレコードを出し、今ではそれが当たり前になったって事。しかも、作曲家が曲を書くのではなく、バンドが曲を書いてたと言うのも画期的だったらしいです。

 

音楽の作り方もそうですが、レコードの作り方、レコードと言うもののとらえ方もビートルズが変えてしまいました。

 

それまでのレコードと言うのは、たんなる録音物、歌手のレコードはただ歌を聴くものだったのです。ビートルズはそれ自体を「作品」に変え、レコードを単なる録音物がらアーティストの表現方法のひとつにしてしまった。

 

昔のレコーディング・スタジオの写真見ると、白衣を着た人がよく写ってました。

それ、どうやらエンジニアだったみたいです。つまり録音技師。

スタジオは演奏する「録音ブース」と、それを録音してテープに収めミックス・編集する「コントロール・ルーム」に別れています。

「録音ブース」は歌手やミュージシャンが、「コントロール・ルーム」には、録音技師やプロデューサー、マネージャーなどの演奏をしない人たちの部屋でした。

昔はコントロール・ルーム(以下CR)にミュージシャンが入る事はほぼなかったと聴いております。今でもスタジオ・ミュージシャンなどはCRに入らず、演奏して引き上げて行く人もいます。

ビートルズはCRを「お偉いさんの部屋」と呼んでおり、「オレ達もいつかあそこに入れてもらおう」と話してたそうです。。

 

デビューして数年、売れっ子になった彼らは、いよいよ「お偉いさんの部屋」に入れてもらいました

そして、自分たちの演奏、歌の録れたテイクに興味をしめし、いろいろと疑問やアイデアをスタッフに投げ掛けて行きました。

それまで、録った演奏と歌を普通にミックスしてただけだったレコーディング・スタジオが、だんだんと実験室へと変わっていくのでありました。

 

当時のレコーディング技術、イギリスとアメリカでは相当の差があったと聞いています。

 

港町リヴァプール出身の彼らは、アメリカの直輸入盤をよく聴いており、イギリスのレコードと比較して、「なんでアメリカのレコードはあんなに音がでかいんだ?」と不思議がっていました。

 

「うるさいな!バンドマンの分際で!演奏に関係ない事に首を突っ込むな!お前らは演奏して歌ってりゃいいんだ!」

などと言わず、その素朴な疑問に率直に対処し、彼らのよき理解者となったのが、プロデューサーのジョージ・マーティン。

 

なんという心の広い男でしょう!?

 

技術的な問題を彼らとのレコーディングを行う事で解決して行ったジョージ・マーティンがいてこそ、あのビートルズであったわけです。

勿論彼らの計り知れない才能ありきですが、それをそれまでの風習や決まりごとで埋もれさせなかったマーティンの功績は大きいです。

 

疲れたので、

続きにします。。。。

 

仕事に戻ります……、、、。