(記事転記)井沢元彦氏提言~総理候補を国民が育てるシステムを考えるときだ | 平成の愚禿のプログ

(記事転記)井沢元彦氏提言~総理候補を国民が育てるシステムを考えるときだ

今や我が国屈指の慧眼で知られる井沢元彦氏が「週刊~井沢元彦の書かずにはいられない」で非常に興味深く、はっきり言って的を得まくったご意見を述べられています。ご存知とは思いますが転記いたします。

平成23年(2011年)6月1日(水)第57号




─ 二大政党制の利点を生かせ ─

総理候補を国民が育てるシステムを考えるときだ


  菅直人首相が、この国のリーダーというか首相職にふさわしくないということは、もはや誰の目にも明らかになってきたといっていい。
しかしながら多くの人、特に民主党の議員たちが菅おろしに踏み切れない。その理由というのは、政権を失うのではないのかという恐れもあるとは思うが、次を誰にするのかが明確に決められないからではないか。
 はっきり言って、菅首相以外にこの人こそ日本の総理にふさわしいと衆目の認める人が誰かいるならば、すぐにその人を中心に政変が起こるはずなのである。それが起こらないということは、結局、今菅首相を辞めさせても、その混乱で起きるマイナスの方が、菅首相を辞めさせるプラスよりも大きいと考えているからだろう。
 こういう時が実は最悪なのである。
 菅首相という人をどういう風に評価するかと言えば、私は以前にも言ったかと思うが「幸運の人」と言っていいと思う。
 菅首相のどこが幸運なんだ。あの人が総理大臣になってからろくなことが無いじゃないか、東日本大震災がその典型だと多くの人は思うだろうが、私の言っているのは逆の視点である。逆の視点というのは、菅首相から見て、ということである。
 考えても見てほしい、もし東日本大震災が無かったら今頃菅首相はとっくの昔に辞めさせられていただろう。例の外国人からの政治献金の問題があったからである。現に前原外相は菅首相よりも少ない献金額だったにも関わらず、この問題で職を辞している。
 つまり菅首相という人は、日本国全体の利益を取ったら辞めるべきなのに、辞めさせられない。それは、総理をとても辞めさせることなど出来ない状況、例えば東日本大震災のようなことが起こるからだ。つまり、日本国民全体の利益ではなく、菅首相個人の利益にとってみれば「辞めないで済んでいる」わけである。だからこそ幸運の人と言ったのだ。
 問題は菅首相にとっての幸運が日本人にとって不幸だということである。
 ではどうすればいいのだろう。
 ということで気が付くのが、我々は総理をやっている人間が不適格者だと分かった時にそれを上手くチェンジする方法、つまりこれも危機管理の一種なのだが、それを持っていないということである。
 正直言ってそういう意味では、自民党の谷垣総裁も貫禄不足だ。それに自民党は影の内閣を作り、震災対策についてもこういう事をやるということをもっと早く表明すべきなのだ。二大政党というもののメリットがあるとすればそれであろう。
 ただ日本の場合、これは自民党が散々やった手段だが、総選挙を経ないで自民党総裁の首を次々に挿げ替えることによって、結果的に首班指名を行ってその人を総理大臣とし、いわば首相を変えるということで政権を延命させるということが行われてきた。民主党はある意味でそれすらも出来ないわけだが、やはり総選挙の洗礼を受けない人が、総理になるというのも非常に問題が大きい。
 結局、この問題を探って行くと、日本という国は総理候補者をあらかじめ作っておくシステムというものが不足していることに気付く。
 かつて自民党には派閥というものがあり、派閥の領袖という立場でそういう訓練を受ける機会があった。しかし派閥があったが故に派閥抗争が国益を歪めるといった悪循環があった。だから二大政党制にシフトするために、中選挙区制が小選挙区制に改められたのだ。
 だからこそ我々は考えなければいけない。この小選挙区制の中でかつての派閥時代とは違う総理大臣候補者の育成方法を。
 その一つはアメリカの大統領選挙のように、予備選挙を行う中で候補者を絞っていく方法であろう。確かに日本は大統領制ではないので、この方法はいまひとつ日本の政治状況にあっていないけれども。
 とにかく、曲がりなりにも発足した二大政党制の中で、なんとか総理の適格者を育てて行くというシステムを我々は真剣に考えなければいけない時期に来ているようである。

転記元URL:http://www.mag2.com/sample/0001109500/html