大平光代(弁護士)

中学時代「A子」という首謀者によってクラス中からいじめに遭い、親友にも裏切られ、割腹自殺を図るが、一命を取り留めた。それが原因で復学後に更にいじめに遭い、非行に走った。幼い頃から祖母を大事にしていたが、祖母の死に目には会えず。その後暴力団組長の妻となり、刺青を入れた。21歳で組長と離婚、暴力団を脱退し、父の親友である大平浩三郎と再会し、立ち直った。その後勉強を始め、29歳で日本最難関の司法試験に1年間の猛勉強の末一発合格。弁護士となった後に女性初の大阪市助役となった。波乱の半生を描いた自伝『だから、あなたも生きぬいて』を公表し、260万部を超えるミリオンセラーとなった。


兼元謙任(OKWave 社長)

生まれた時に体が弱く、小学生の頃は入退院を繰り返した。病弱を理由にいじめに遭った。小学五年生の頃から更にいじめを受けた。いじめ・病苦・逆境に耐え切れず、死を考えた。よくトイレに連れて行かれ、個室に閉じ込められ、水を掛けられたり濡れ雑巾を投げ込まれた。取り囲まれても最初は抵抗して暴れたが、5・6人が相手になると力では敵わず、最後は力づくで押さえ付けられた。ギラン・バレー症候群にかかり、高校まで入退院を繰り返し、時々車椅子生活を余儀なくされた。いじめで負った傷のために今でも右目が見え辛い。トイレの柱に縛り付けられ、一日放置された事は今でも夢に出てくるという。結婚するが職を失い、生活費も尽き、印の押された離婚届を残して妻と子供が出て行った。駅のトイレでノートパソコンを開いて仕事をするホームレス生活を始めたが、ウェブ制作に関する疑問をネットで聞いた際に罵倒され、過去のいじめ経験を思い出した事によって後のOKWaveのサービスの原型を思い付いた。


京谷和幸(車いすバスケットボール 元日本代表)

ジェフ市原に所属していたJリーガーで、Jリーグ開幕から半年後の1993年10月1日に公式戦初出場を果たすが、その後車を運転中に脇から急に出て来た車を避けようとして電柱と正面衝突し、脊髄を損傷。下半身不随となって車椅子生活を送る事になり、引退を余儀なくされた。同期入社の女性との結婚式を2ヶ月後に控えており、事故に遭った日は衣装合わせをする予定だった。その後身体障害者手帳の交付を受けるために訪れた浦安市役所の福祉課で、受付をしていた車いすバスケットボールの元日本代表ヘッドコーチ 小滝修と出会い、車いすバスケットボールを始めた。日本代表として4大会連続でパラリンピックに出場。


GOMESS(歌手)

10歳時に対人関係が上手く築けず、人前でパニックになる症状に襲われるようになり、自閉症と診断される。学校を休みがちになり、5年間引きこもりの生活を送った。その後力強い言葉で思いをぶつけるヒップホップと出会った。https://www.70seeds.jp/gomess-297/


坂本博之(プロボクシング 元世界ランキング1位)

世界ランキング WBCライト級1位。新人王・日本王座・東洋太平洋ライト級王座獲得。幼少時に両親が離婚し、親類に預けられ、そこでの生活は極貧を極めた。兄弟は親戚から酷い虐待に遭い、トイレを使わせてもらえず、食事は学校の給食のみで、休日は弟と一緒にザリガニを捕まえ、食した事もあった。その後弟が栄養失調で倒れた事をきっかけに虐待が発覚。坂本は弟と共に福岡市東区の養護施設 和白青松園に預けられた。児童養護施設入所後、テレビでボクシングの試合を見た事がきっかけでプロボクサーを志すようになった。ピーカープースタイルで相手に突進し、相手のパンチを恐れずにひたすら前に突っ込んでいき、パワーを活かした破壊力のあるパンチを相手に食らわせ、壮絶な打ち合いによる勇猛果敢なインファイトを展開した。これは自分と同じように児童養護施設に預けられたり不遇な経験をした子供達に、自分が戦う姿を見せて生きる希望と勇気を与えたいという坂本自身の願いであるという。


真田幸村(戦国武将)

関ヶ原の戦いで西軍に付き、徳川に敗れ、九度山に14年間幽閉された。その後豊臣の呼び掛けに応じ、九度山を脱出。大阪城に入城し、豊臣の武将として徳川家康の本陣に突撃し、戦死した。


柴田賢志(俳優)

1999年に『救急戦隊ゴーゴーファイブ』にゴーイエロー 巽ダイモン役として出演。24歳時に突然右手の震えや右目の違和感の症状に襲われ、検査の結果、脳の腫瘍が判明。そこから壮絶な闘病人生が始まった。脳腫瘍は中枢神経が集中する場所にあり、すぐに手術ができず、判明から1年後にようやく手術を行ったが、一度に取り除けずに5年間で5回に分けて手術した。手術の結果、右半身に麻痺が残った。手術から5年後には麻痺の無い左腰に激痛が走り、難病である大腿骨頭壊死症と診断された。血流低下によって骨が壊死し、そこが骨折して股関節機能が失われ、歩行困難に陥るため、両足共に人工股関節を組み込んだ。治療のために2004年頃に活動停止し、2007年に芸能界引退。障害者4級の資格認定を受けたために勤務先等で差別を受け、辛い思いをした事があったという。その後は神奈川県内の家賃1万6000円のマンションにて1人暮らしを始めた。言葉を発し辛く、歩くのが不自由で、外出時は杖を突いた。病を患ってからは実の兄妹のように仲の良かったゴーゴーファイブのメンバー達との交流も全て断っていた。それでも諦めない一心で懸命にリハビリに取り組み、パソコンが打てるようになり、1人で運転もできるまでになった。友人の勧めで保育士の補助員を務め、子供達と触れ合う事で生き甲斐を見出し、保育士の国家資格取得を目指した。2018年にテレビ番組のサプライズでゴーゴーファイブの巽兄妹5人が18年ぶりに集結。2019年に活動再開を表明し、ゴーゴーファイブ20周年イベントが実現。


ジェイミー・ヴァーディー(サッカー選手)

元々は工場勤務をしていて、どん底からプロの選手になった叩き上げの選手。15歳時に身体が小さいという理由で解雇を宣告され、約1年間ボールを蹴らない時期が続いた。その後炭素繊維工場で8年間仕事をし、身体障害者のための補助器具を作る仕事で、重い原料を運ぶ作業を1日に何百回も繰り返した結果、背中には大きな負荷が掛かり、体には良くなかった。その後難聴の友人が馬鹿にされ、殴り合いの喧嘩になり、暴行容疑で逮捕された。執行猶予付きの有罪が確定し、所在確認のための電子タグを半年間足首に装着させられた。夜間外出も制限され、試合後はすぐに帰宅していた。しかしその後多数のクラブから注目される様になり、強豪クラブと契約。工場の仕事を辞め、これがきっかけで有名ストライカーへと進化した。レスター・シティFCに所属し、プレミアリーグ2015-2016シーズン優勝にまで這い上がった。


ひろじぃ(東大生)

37歳時に中卒の学歴で東大に合格。学生時代はいじめに遭い、卒業後は高校に進学せず、大検を受けて慶應大学に入学したが、腰痛や色々な事情で1年で中退。その後東大を受験したが、失敗。35歳時に再度東大受験を目指し、37歳で合格した。

https://www.amazon.co.jp/ひろじぃ/e/B0049YGNOA

https://cotosaga.com/event/1206606/


田中角栄(元総理大臣)

中卒で総理大臣にまで成り上がった人物。幼少時代に父がコイ養魚業と種牛輸入で相次いで失敗し、家産が傾き、極貧下の生活を余儀なくされた。幼少期にジフテリアを患った後遺症で吃音症を患った。中学卒業後は土木工事の現場で仕事したが、1ヶ月で辞めて柏崎の県土木派遣所に勤めた。旧制中学校への進学については家の貧困と母の苦労から気が進まなかったという。1972年に福田赳夫を破り、自由民主党総裁に当選。第1次田中内閣が成立。


堤真一(俳優)

下積み時代の生活は極貧で、家賃2万5000円の風呂無し共同トイレの木造ボロアパート暮らしだったという。銭湯に行く金が無く、体を洗うのに流し台を使用した。「20代は真っ暗闇の状態だった。どこに行っていいのかもわからないしこれから本当に生きていけるのか不安で不安でしょうがなかった。それでも金のために意に沿わない仕事をやる自分が許せなかった」。

https://ciatr.jp/topics/113173


内藤大助(プロボクシング 元世界チャンピォン)

母親は内藤を身篭っている時に夫と離婚。中学2年になるといじめの標的にされるようになった。生活が苦しかったため、兄のお下がりの制服やスキーウェア等を着ていけば馬鹿にされたり、給食のおかずや貴重品を取り上げられたり、教師に見付からないように人目に付かない場所で暴行も受けた。内藤は胃潰瘍を患うまでに追い詰められるも教師からはいじめに気付いてもらえず、気の強い母親への相談も諦め、1人でいじめに耐える中学生活を送った。高校卒業後に就職が内定したが、研修中に上司と口論に発展し、内定を取り消され、就職に失敗した。定職に就かずにダラダラと日々を過ごしていたが、上京し、ボクシングを始め、世界チャンピォンになった。


ファイヤー原田(プロキックボクシング 元日本ランキング1位)

幼少期は友人付き合いが苦手で、大学は進学直後に中退してしまい、家に引きこもってゲームをしていたが、キックボクシングジム レグルス池袋(J-NETWORK系列)と出会った事で転機が訪れ、27歳で格闘家人生を歩み出した。2003年5月3日に第14回全日本空手道選手権大会軽中量級K-2トーナメントにて優勝し、10月19日にレグルス池袋より29歳でプロデビュー。2008年4月20日に新規設立のファイヤー高田馬場ジム(J-NETWORK系列)の会長に就任。2018年2月に東京都板橋区にてネオファイヤージムを設立し、会長に就任。


YUI(歌手)

物心が付く前から父がいなく、母子家庭で育った。家は貧しく、高校には進学したが、学費を稼ぐためのアルバイトで体調を崩して入院してしまい、退院後に中退。その後ストリートライブを行っていたビアンコネロに話し掛け、地元の音楽塾ヴォイスの存在を知り、通い詰めてギターと曲作りを学び始めた。2014年にパニック障害と診断されるが、結婚し、一児を儲けた。