「もういいわ」


サエコ… 

ねぇ、サエコってば!

自分の名前を呼ばれていることにようやく気が付いてサエコはハっとした。 

「あ、ごめん。なんだっけ?」サエコはマミに謝った。

「もう、ちょっとあんた自分で呼び出しておいてボーっとしすぎ!また、ユキオ君のことなんでしょ?」
マミは高校からの付き合いになる友人であり、事あるごとにサエコはマミに相談をしていた。そして今もわざわざマミを駅前のコーヒーショップに呼び出していた。しかし、サエコはさっきから全く話に集中できていない。

「うーん、何であんなこと言っちゃったんだろう。自己嫌悪になりそう」
「そんな、気になるなら連絡してみたら?」

「うーん」
最期に会ってから、1週間ほどはユキオからメールや着信もあった。しかしある日パタリとその連絡が途絶えてしまったのだ。 

「連絡とれないの?ケータイは?」
「なんかずっと電源が入ってないみたいもしくは圏外か」
「それって、ちょっとヤバいんじゃない?」
「うーん」
「もしや、ショックで自殺とか…」
「ちょっと!縁起でもないこと言わないでよ!」
サエコの中に嫌なイメージが浮かんだ。 
「ごめん、冗談よ」
「あんたのは冗談になってないのよ!」サエコはなんだか頭痛がしてきた。 
「あぁ、なんか頭が痛い。」「あ!そしたら整体マッサージ行こうよ!スッキリするわよー。」
「うーん、」
「もう!あんたさっきからウンウンうるさいのよ、行こ!」

サエコはマミに連れられてコーヒーショップをあとにした。ユキオにもこれくらいの強引さがあればいいのにと思っていた。

駅から繁華街を抜けて10分ほどの所にマミの勧める整骨院があるという。 
チェーン店の居酒屋街を抜け、路地に入っていく。このあたりはどちらかといえばネオン街のような雰囲気だ。
そこでふと、サエコは立ち止まった。 
「どうしたの?」マミは尋ねた。

(あなたの心を解放します)
サエコの前の看板にはそう書かれていた。
(あなたの心を解き放ちます)

タツオと朝まで飲み明かし、意識も途切れ途切れ辿り着いた一人暮らしのベッドの上でもユキオはその言葉に支配されていた。
窓からは二日酔いのユキオに無慈悲なほど眩しい朝日が射していた。やはり東側の部屋にすべきでは無かったとユキオは思った(たとえ西側の部屋を選んでいたとしてもきっと西日の射す時間帯に同じ思いになっていただろうが)

(あなたの心を解き放ちます)

その看板以外は窓もない、真っ白なペンキの壁に人工大理石のような材質のドアがあるだけだ。はっきり言えばユキオは店に入れば良かったと後悔していた。あの時タツオが、「やめとけ、きっと詐欺だ。霊感商法とかいうやつ?あれだよ」という忠告が無ければ入っていただろう。
フラれたショックでそんな詐欺にひっかかる自分では無いとも思っていた。 
しかし結局、タツオの忠告を無視してユキオはその店に行った

店の前に着いたユキオは不思議に落ち着いていた、飼い犬の頭をなででいるような安らかささえあった。

ユキオは人工大理石の扉を力をこめて開けた。 

中には赤いソファーがあり、奥からスーツ姿の女性が現れた。「いらっしゃいませ、こちらにおかけになってお待ちになってください」

四十前後の女性だ。これといって特徴の無い顔をしていたが不思議な不気味さがあった 

おそらく待合室であろうその部屋は壁と天井はやはり白いクロスで、床はグレーのタイルカーペットが貼ってあった。

10分くらいたったころだろうか、先ほどの女性がふたたび現れ、ユキオは奥の部屋に案内された。部屋の中には机がひとつあり、対面式に椅子が置いてあった。「どうぞ、こちらにお座りください」と椅子を引いてユキオが座るのを確認すると女性は「失礼します」とゆっくりと深く頭を下げ、また待合室のほうに出ていった。 
間もなく入口から別の女性が現れた。 

「いらっしゃいませ、こんにちは」女性は微笑んで言った。
年齢はユキオと同じくらいで、25歳前後といったところだろうか。そして、何よりユキオを驚かせたのはその女性がとてつもない美人だったことだ。これはユキオがフラれたショックでそう見えるのでなく、その女性が万人(同性を含む)が見てまず美しいと感じる顔をしているだけなのだ。

「初めまして、私こういう者です」
差し出された名刺を見てユキオはさらに驚きを重ねた。 

(あなたの最期をお見せします、心の解放人 豊川いるみ)

「最期…?」

「はい、つまりあなたの死です」

ユキオは拳にじわりと汗を感じ、店に入るまえのあの安らかさは何の根拠も無かったことに気付いた…

つづく
「もういいわ…」


「はぁ?なんだそりゃ?それで別れたっていうのかよ」タツオは生ビールを片手に怒鳴った。しかし、大衆居酒屋であるためか周りも騒がしいのでタツオの怒鳴り声に驚いたのはユキオだけだった。

「お、大声だすなよ!まぁ、別れたっていうかあれから会ってない」

「連絡は?」タツオは出すなと言われた大声でまた聞いてきた。
「電話にも出てくれないし、メールも帰ってこない」ユキオは今にも泣き出しそうだ。 

「ふん、良かったじゃねーか、そんな女別れたほうが身のタメだぞ」タツオはユキオの肩を強く叩いた。身体の細いユキオは体ひとつズレた。

「でも、確かに彼女の言うとおりなんだ。僕は自分で何も考えていなかったのかもしれない。とりあえず売れてる流行りの音楽を聴いて、雑誌に載っているオシャレな服(サエコから言わせれば致命的で根本的に違うのだが)を着ている」ユキオは半端に残っていた生ビールを飲み干した。 
「そんなの、誰だって少なからずはそうだろ?なんであんなに音楽や服の雑誌があるんだ?それだけ読んでるやつがいるからだろ、需要があるんだ。それに人は真似をすることから色々と学ぶんだ」

「でも、僕には個性と言えるものは無いし特別な才能も夢も無い」

「でも、ユキオはユキオだ。個性的なやつというのはつまりマイノリティなんだ。個性的なやつしかいない世界などあり得ない。ん?何にする」

「あ、生ビール」ユキオがそう答えるとタツオは近くにいた店員を呼んだ

「すいませーん!生ビールとウーロンハイ」
「はい、喜んでー」
いつ聞いてもこの居酒屋の店員の答え方には違和感を感じる。 

「つまりアレだ、カッコつけているだけんなんだその女は。異端に憧れているんだ。」

「ふーん、何だかよくわからないなぁ」

「ま、あんま深く考えんな!この話はおしまい、飲もうぜ」タツオはいつの間にか空にしていたウーロンハイのおかわりを頼んだ。 


「いやー久しぶりに美味い酒だったなぁ」昂揚しているタツオの顔は真っ赤だ。「よしユキオ、キャバクラ行こうぜ!今日はとことん飲むぞ」ユキオの返事を聞く前にタツオは一年ほど前に通っていたという店のある路地に向かっていった。 
「あれ?無くなってるよ!うわーなんか別の店に変わってらぁ」

(あなたの心を解き放ちます) 

キャバクラの代わりにあった店の前にはそのような看板が立っていた

つづく