幸い現在の仕事はなかなか充実していて今は仕事にやりがいを感じながらさらにスキルを磨けるような恵まれた環境ですが、定年まで2年を切ると日の経つのが早く感じてなかなか方向が決まらないことに多少の焦りも出てきました。

 

最初に目指したのは基礎生活費が稼げる国際協力NGOの職員のようなイメージだったのですが、国際協力の仕事は海外で働くか、あるいは、国内でボランティアをするか、のような感じが多そうなので、なかなか職員の仕事は見つからないかもしれません。二つのNGOでのボランティアの仕事は今後も続けていくつもりですが、これが職員への道につながることはなさそうです。

 

今まで探していたNGO職員のような仕事は今後引き続き探していこうと思いますが、そのような仕事がない場合にボランティアのみででかかわっていくのも物足りなさを感じるのではないかと思います。なので、少しスコープを広げて、何か自分の好きなことに関われる仕事についても見ていこうと思います。趣味の山歩きやワインなどに直接的・間接的にかかわる仕事です。

 

長年仕事をやって来て、どんな時に満足感が高かったかを考えると、自分の発想や技術が生かされている時に満足感が高かったと思います。NGOのボランティアの翻訳や事務作業だけではなかなかそのような満足感は期待できそうにないので、国際貢献だけでなく好きな分野でのサーチもしていこうと思います。

 

次回からは、興味のある分野をいろいろ見てみようと思います。

JICA海外協力隊のセミナーに何回か足を運んでみました。2年から3年の任務を終えて帰国した人たちの説明もいろいろ聞くことができました。また、海外協力隊を現地で支える企画調査員の話も実際に現地に行ってきた人からの話も含めて聞いてきました。

 

聞いた感じではどちらかというと自分には企画調査員が向いているかなという気がしました。もちろんそれは競争のある選考を勝ち抜く必要があって、やる気になったとしてもできるかどうかは不明です。何よりもこのようなセミナーに来ている人たちの多くが途上国での勤務に強いパッションを持っていて、仕事を辞めてまで行く人も多くいました。私のように「生活も安定したのでセカンドキャリアに・・」などという考えでこの人たちと競っていいのだろうかとも思いました。

 

これまで仕事で培ってきたスキルと英語で海外の人とも一緒に仕事ができるコミュニケーション力を生かし国際協力に関わる仕事ができればと思ってきました。それを海外で働くことで実現するというより、国内にいながらそのような仕事ができないかと模索してきました。JICAの仕事はまずは海外で仕事を始めることを前提にしているので自分の方向性とは少し違うと感じました。

 

次回は、現時点での自分の方向性を再確認してみようと思います。

訪問したNGOでフェアトレードで発展途上国で作った手工芸品を売っていると聞きました。フェアトレードという言葉は知っていましたが詳細は知らなかったのでフェアトレードの全体像をつかむため本を読んでみました。フェアトレードは開発とビジネス、援助と貿易の融合形態であるという視点での入門書です。

フェアトレードには国際的な取組のコーヒーやチョコレート原料に関する企業が絡んだものも手工芸品などの小規模な事業にかかわるものもあります。私が訪ねたNGOは後者に関わっていて、発展途上国で作られた手工芸品を日本のデパートや小売りに取り次いだり販路を見つけて現地の仕事と収入を作り出していく草の根的な活動です。

 

この手工芸品などのフェアトレードに関しては、「本来そのものの対価として支払う金額よりもプラスの金額を支払う」という点にビジネスのSustainabilityという点から疑問がありました。途上国の貧困削減のために喜んでプラスを支払うという人が継続的にいなければなり立たない話だからです。自分的には現地のお土産屋で売っているものよりも何倍もの値段を払って買うよりも、貧困削減のためにはお金を寄付した方が効率がいいのではないかと思ったりしました。

 

ただ、このNGOは継続的な需要を作るというところも含めて活動しているので、効率がいいかどうかは別として貧困削減に貢献はしているのではないかと思います。実際寄付一辺倒だと寄付する人も続かないかもしれないので、複数の手段でアプローチするというところに意味があるのかもしれません。理屈をこねているだけで何にもやらないよりはずっといいのは明らかですし、たぶん自分は買わないと思いますが、活動のサポートができればしていこうと思います。

 

次回は何回か説明会に参加したJICAの海外協力隊や企画調査員について書こうと思います。

JICA PARTNERからの案内を見ていたら、発展途上国の貧困家庭の支援をしているNGOのセミナーがあったので参加してみました。

 

講師は学生時代にスタディツアーに参加して発展途上国の貧困地帯を見て「自分が行動を起こさなければ」と思ったとのことです。この方はそのようなパッションもありますが、また、現実的にNGOの給与では食っていけないという点を見て、ご自分は職業を持たれて余暇時間このNGOでの活動をやっています。

 

わたしはその方が貧困で衝撃を受けた発展途上国の人達と仕事上頻繁にテレビ会議や電話会議でコンタクトしていて、イコールパートナーとして一緒に業務の遂行や改善を行っています。もちろん中には注意散漫な人もいますが、全般的には一緒に業務をするにあたって能力の高い、また人間的にも尊敬できるプロフェッショナルな人々が多いです。

 

この講師の方と私は同じ国の人でも全く違う階層の人と付き合っているということがわかりました。私の素朴な疑問は「私と一緒に仕事をしている人たちのような能力も社会的地位も収入も人を助けようという気持ちも持っている人たちがいるのに、なぜ日本からわざわざ助けに行かなければならないのだろう?」というものでしたが、日本と比較にならない貧困がその国に存在していることは事実なのでやはり行動を起こすことは大切なのでしょう。

 

このNGOは少し私の住む地域と離れているところにありましたが、一度直接話を聞きに行ってみました。事務局の方にお話を伺って貧しい家庭の子供に対する就学の支援をしたり、貧しい地域の人達に仕事を与えるためフェアトレードのサポートもしているとのことでした。このような活動の中でいろいろな企業ともコラボをされていて、そのための工夫などで素晴らしいと思うことがありました。

 

自分として貧困を減らす役に立ちたいと思ったことと、定年後の職探しに向けて国際交流に関する知識を深たいという気持ちで、年数回のボランティアとして活動に参加しています。

 

次回はこの活動で興味を持ったフェアトレード」について書いてみようと思います。

 

ネットでいろいろ調べていたらJICAPARTNERというサイトにあたりました。

 

国際協力のキャリアに対する説明や仕事の募集やセミナーの日程などが載っていてなかなか便利なサイトです。最初はメールマガジンを受け取るところから始めて、国際協力人材登録をしてみました。

 

今のところこの登録を活用して何かしたわけではないですが、今後キャリア相談等でこの登録を役立てる機会があると思います。

 

メルマガについては毎日、仕事の募集やセミナーの案内など届きます。セミナーに関してはNGOの活動案内を1回とJICAの青年海外協力隊関連のセミナーに3-4回ほど参加しました。自分のイメージする「国際協力の仕事についてフルタイムで国内で働いて月収20-30万を稼ぐ」というのは思っていたより難しそうでした。また、仕事の雇用期間が1年とか1年未満のものが多くて、仕事につけたにしても定年後5-10年同じ団体等で安定的に働くというよりは、毎年仕事を探して転職・無職を何回か繰り返すことになるのではないかという印象を持っています。まあ職があって少しでも社会に貢献出来て社会とのつながりが保てたらそれで十分なのですが・・・。

 

次回は参加したセミナーからの学びを書こうと思います。

 

 

だいぶ放置していましたが、定年まで2年を切ったので再開します。

 

ブログを書いていなかった間も、以前考えていた方向性でいろいろ始めていました。

1. JICAのPartnerに登録して送られてくる仕事の情報やセミナーに目を通しています。

2. そこで参加した発展途上国の貧しい家庭の子供に教育の機会を提供する活動をしているNGOの翻訳ボランティアを始めました。

3. 青年海外協力隊やそれに関連する仕事の説明もいくつか聴きに行きました。

 

現在働いている会社はもう勤続35年になり、数年前に第一線から離れるような異動がありましたが、給料にはそれほど影響せず老後資金の確保もほぼ順調です。異動した仕事は海外の拠点とのコミュニケーションが多く、元々英語は海外勤務で日本人一人の職場で過ごしたこともあり苦手ではなかったのですが、ここ数年でさらに英語のスキルが上がった感じです。

 

今後はあと1,2年で第二の人生の仕事を見つけられるよう、JICA関係のセミナーに参加したり、NGOの人に会ったり、自己啓発をしたりして過ごそうと計画しています。あと、今の仕事も気を抜くとたちまち状況が変わってしまいそうなので引き続き緊張感をもってやっていこうと思います。

 

次回以降は今までやってきた活動や今後やっていく活動について書いていこうと思います。

最初の赴任時に期間は23年という約束でした。現地の仕事はやりがいもあり収入も良かったのですが、自分の中では3年が潮時で帰国して次のステップを目指すべきだと考えていました。赴任して2年半ぐらいから北京の本社に3年で帰国するというメッセージを発し始めました。本社側は当時の人材難からもっといてほしかったようですが、早めに仕掛けた効果もあり、ちょうど3年で後任のイギリス人が赴任して、1か月引き継ぎののちに帰国することになりました。

後任のイギリス人は偶然にも以前ヨーロッパでの研修で一緒になったことのある人で、北の方の合弁会社で数年を過ごした後転勤してきました。外国人社員の中には現地社員に対して偏見を持っていたり、見下すような態度を取っていたり好ましくない人たちもいましたが、幸い私の後任はそのようなことはなく、また仕事も優秀で前向きで、難しい仕事を安心して託していくことができました。この人はその後とんとん拍子に出世して今ではヨーロッパの大国の法人の要職についています。

引き継ぎの過程で一つだけ意見が合わなかったのは中国の銀行に対する態度でした。私は資金繰りに苦労していた時に支えてもらったので銀行に対しては感謝の念もあり常に下手に出ていたのですが、このイギリス人は「銀行だって利息を多く受け取ってベネフィットがあるのだから、ビジネスパートナーとしてもっと対等な態度で臨むべきだ」という考えでした。この意見は自分があの状況でそういうことができたのかは別にしてもっともだと思いました。

私が最初のマネジャーとして着任して半年ぐらいは私の他にはマネジャーなしの状況でしたが、半年ほどで私の上司になるGMや営業部長、工場や倉庫の建設を担当する工務部長、エンジニアたちが着任しました。

GMは西アジアの人でしたが、イギリスやヨーロッパでも働いた経験があり、なかなかの大人物でした。営業部長は香港出身でカナダに移住していた人で、優秀な人でしたが神経質な人でした。工務部長はオセアニア出身、中国ではすでに他のへんぴな場所で工場を立ち上げたこともあるタフガイでした。工務部長の下のエンジニアたちはヨーロッパの出身でした。

この頃までには中国側のパートナーとの関係もやや改善して、私は本業の資金繰り、予算管理、人材育成などの仕事に集中できるようになってきました。新しいビジネスを始めるわけなので当初の甘い見積もりもあって目標とは全くかけ離れた状態で資金繰りにはとても苦労しました。でも多国籍チームでの会社の運営ではそれなりにコンフリクトがあったものの、GMが有能で人の管理も巧みだったので大きなトラブルもなく運営することができました。

香港は3年間で40~50回は行ったので色々な思い出があります。働いていた中国の街は大都会で食事、特に中華料理については大変充実していましたが、香港に行くときは発展途上国では味わえない先進国の雰囲気を求めていったことを覚えています。

香港に行く時の宿は半島側の尖沙咀(チムサーチョイ)で取ることが多かったです。最初の頃はロイヤルパシフィックホテルのビジネスフロアなど豪勢な部屋に泊まりましたが、行く回数が増えるにつれて同じホテルのスタンダードルームにしたり、ペニンシュラホテルの近所のYMCAに泊まったりしました。どこも冷房が効きすぎるぐらい効いていたので部屋に入るとまず冷房を切るというのが習慣でした。

地下鉄は尖沙咀と香港島の行き来や香港島内での移動に使いました。地下鉄のエスカレーターのスピードが速いのもせっかちそうな香港人らしいのかもしれません。当時の地下鉄のシートが金属製だったのは掃除のしやすさのためかと想像していました。

スターフェリーは尖沙咀から香港島に移動するときによく使いました。香港島の摩天楼を見ながら進んでいくのはなかなか爽快感があって良かったです。ヴィクトリアピークへはたまに上って香港島から九龍半島側までの素晴らしい眺望色を楽しみました。

レストランはせっかくの香港ですが中華は本土で安くておいしいのが食べられたので洋食が中心でした。まずはハッピーアワーで飲んでそのあとカジュアルな洋食をいただくというパターンでした。ハードロックカフェやプラネットハリウッドなどで欧米人向けの大きなポーションの料理を面白がって食べていました。スイスレストランにもたまに行っていました。

ショッピングは日本のデパートにも行きましたが、尖沙咀のハーバーシティ(海港城)によく行きました。ハーバーシティーは広東ロードに沿って建っているいくつものビルの中が相互につながってショッピングモールになっているというつくりで行けども行けどもショップが続くという他ではあまり目にしないような大規模なショッピングモールです。ファッション・食品・お土産と何でもそろっていて便利でした。

月に1回は香港に買い出しに行きました。住んでいたホテルの下から出発して香港の海港城の下に4時間くらいで着きます。途中国境があり、一度国境前で荷物を持って下車してスーツケースを引いてパスポートコントロールを通り、再度香港側で国境を通ってきたバスに乗り込みます。

当時はまだ日本の経済に勢いがあったので、香港では売り込みの人たちに日本語で話しかけられることが多く日本人も香港の各地で多く見かけました。数年前久々に香港に行った時は日本と日本人の存在感はあまり感じられませんでした。

買い物天国香港なので衣類や靴など身に着けるものも見て回りましたが、主な目的は食料と本・雑誌の買い出しでした。そごうや大丸などの日系デパートの食品売り場でラーメン・お菓子(特に米菓類)・調味料等目についてほしいと思ったものはどんどん買いました。駐在中に閉店してしまった大丸では、日本の魚の干物などを冷凍してくれて出発の朝に受け取って持って帰りました。現地の市場では大味な川魚はあってもあじの干物などは望めなかったのでありがたかったです。

途中から高速鉄道が開通して2時間ほどで快適に往復できるようになりました。

香港からの帰りに国境でスーツケースを開けられて中を調べられるときもありました。日本では駅で普通に売っていてグラビアなどもない雑誌でも取り上げられる時がありがっかりしたことが何度かありました。