柄谷行人氏のむかしの評論からの引用。

 

[……]古井氏は「内向の世代」とよばれたが、そのラベルとは逆に、いわば「内部」など全くもたない作家だった。「書きたいことがなくなったときから、作家は書きはじめる」と言明した作家だったのだ。「書きたいこと」という価値を転倒するところからはじめたのである。[…]『哀原』では「雫石」「仁摩」[…]というように、固有名詞(地名)から触発されて書かれている。いいかえれば、古井氏は「文字」から書きはじめているのであり、その前にある信じられている“現実” “生活” “内面”なるものを見事なまでに拒絶している。それを私は「悪意」とよぶのである。(『反文学論』115頁、1978/2012)

 

 

いっぱんにいわれるこうした「内面」の神話がどこからくるかというと、いうまでもなくプラトン的イデアからであるが、このことからふとれんそうするのは「見る前に跳べ」というオーデンである。古井氏の小説は「見る前に跳ぶ」小説であり、外化(alienation/Entfremdung)すべきどんなものも選択肢にはない。ふるくよりそれが日本的な書きぶりであると思われるが(今となっては忘れられているかもしれない)、とにかく跳んでいくはじめの一歩の足元には、固有名の跳び石が任意に置かれている。

 

 

さらにすすんで(というより逸脱して)、固有名の「発明」を担うのが「詩」であるわけだが、これは「呪文」ともよばれるような破目のはずれたシニフィアンの飛躍を伴う。比較的最近の事象でいえば、『鬼滅の刃』における「竈門炭治郎」「禰豆子」「我妻善逸」「嘴平伊之助」…などといった一連の作中人物名の発明がそれにあたるが(斎藤環)、ふるくは宮沢賢治の「イーハトーブ」「クラムボン」…といった「造語」も彼の詩的才能を証したてる大切なしるしである。シニフィアンの場的な、ある広がりに対して、その中を互いのタイミングや波長で明滅している天文に、量子的(クオンタムな)共鳴をききつける才能が、詩人、というより言葉にかかわる才能のほぼ大半の領域を規定する。

 

 

作家や詩人には「内面」の拒絶が不可欠だという主張が成り立つとき、とはいえそれはのちに仮構される内面の「怨念」までをも否定するものではない。むしろ、この一回的な怨念が、はぐれてしまった「他者」との量子的な引き合いに力をあたえるものと思しい。作家は、特権的かつ任意に選ばれた、はぐれてしまった「他者」と関係するわけだが、怨念がそれをよびよせたとはいえ、それは内部的与件ではない。「はぐれた」という言葉とはうらはらに、他者とは、かつて自分が一度も経験したことのない過去(E.レヴィナス)において昵懇でありえた「他者」である。「文字」から書き始めるという現実性の少なさにおいて、「私」ははじめて他者の側から固定される。

 

 

(備忘のためのノート、未整理な思考。寸断された)

 

あと、なぜかさいきんサイード『オリエンタリズム』を読んでいる。いままで読んだことなかったから。猛省。

 

moukonnajikan,nenakerebaikenai,asitamohayaikara.(啄木風)