哲学者であることは、まさに超越論的であろうとすることだと思うのです。つまり、異邦人であり続けるということ、です。それは、当たり前のことを当たり前と思えない宇宙人ですね。しかも、その宇宙人は、なぜ自分は宇宙人なのかという問いを、いつでも同時に持っている。そこにはまったく根拠がない。そういう循環的な問いの中に哲学者は入るのではないでしょうか。(言葉と悲劇「ファシズムの問題」p300)

 

 

超越論的であるとは、超越的であること、いいかえれば、メタレベルに立って見下ろすことではなくて、逆にそのことが不可能であり、不当であることを示すことです。(同「ポストモダンにおける「主体」の問題」p311)