今日は西洋占星術について独り言を。。。凝視

ちなみに占星術か、オカルトだなあ、と不快に思われるかたもいらっしゃるかと思いますが、お付き合いいただけると幸いです。(あ、ちなみに科学や医学なども「客観性」への「信仰」であって、厳密にはみずからを基づけることができないことは哲学的には自明なのですが、こちらはいまだに信仰とはみなされていませんね。。さいきん『客観性の落とし穴』なる新書?を書店でみかけましたが、全く同じことはすでに100年まえくらいにフッサールが『ヨーロッパ諸学の危機』で述べているので、そのあたりの消息がようやくポップに膾炙する時代がきたんだなあ・・・なんてほっとしています 笑 それでも当分は科学的合理性への信仰はやむことはないと思いますが)凝視

 

 

さて、私は占星術が好きで、いろいろ本を読み漁っていたことがあるのですが、「月」の解釈にかかわるものに「月光反転法」と呼ばれるまあ比較的新しい説が存在します。マドモワゼル愛(ふしぎななまえ)さんという方の提唱された理論で、在来の月理論とは一線を画すもの。コアラ

 

月星座は従来の解釈(占星術は一種の解釈学です)にしたがえば、「ほんとの自分」「粉飾しない内面のじぶん」などと読み解かれることが普通でした。ところが月光反転法においては、これを「欠損」として読み解きます。私にはこの考えは非常に腑に落ちました。どういうことでしょうか。お月様

 

私自身を例にとり、説明すると、私は太陽星座みずがめ座、月星座が獅子座です。在来理論では、内面が「獅子」、つまりライオンのようにはっきりとした自我を有し、(いまはやりの)自己肯定感たかく、威風をそなえたリーダー格、ということになります。笑

ところがこの解釈はいつも私を悩ませてきました。私は人前だと堂々とできないし、人前では自信がないし、威張れないし、集団を統率することもかなわないし、無理して見栄をきっても空虚でかえってなめられるし、学生に講義をしても何言ってるか意味不明ですみたいに中傷され…、というようにあんまり解釈との符合を欠くため、「月」ってほんとにこれで合ってる?みたいにいぶかしく思ってきました。

 

さて、はんたいに、「月光反転法」では月を「欠損」「悪いもの」ととらえます(明確ですね 笑 明確すぎる気もしますが、逆にいうと占星術は複雑すぎます)。もっと正確をきせば「欠損しているのに自分では『ある』と思い込まされている、あるいはそうなりたいと思わされている、求めても得られない永遠の欠損」のことを指します。

つまり私の場合にひきつけると、私は自分を「ライオン」だと信じている。ないしライオンになりたがっている、でもそれは嘘であり影のように無意味。それはなれない自分のすがた、むやみに気をもんでときめくことはあっても、決して捕まえられない憧れのかたち。月は偽でみせかけの姿を現している、ということになります。月は太陽と異なり、努めても空虚にしか実現しない己の在り方です。

 

これを聞いた時、ああ~はいはい。いままでの時間をただちに返還して、と在来月理論にたいして石を投げました。月の常識が砂のようにすばやく崩れた瞬間です。くま

 

 

では、かけている月の性質、私であれば「しし座」を補うには、どのような道を信任すればよいでしょうか。それは「月光反転法」の名がさすとおり、月星座とまむかいに存在する星座を意識する、という道です。私たちにはみずからの「月」には全然用がないんです。そうではなくて、月の幻を叱りつけて、それとは真向いにある星座、私であれば「みずがめ座」を意識して生きるとよいというわけです。虹

 

 

そんな感じでまあ、あとはご興味がありましたら、ご自分で「月光反転法」としらべてみてください。私は満月生まれなのでたまたま太陽星座もみずがめですから、ほんとにみずがめだけを考えていきていこうと思います。それが実感にも沿いますし、楽でかつ充実した生き方に通じているかもしれません。

 

子育てにも使えると思います。子どもの性質や傾向を見誤らなくて済むので。

 

 

おわり