家紋は東京都は練馬区中村橋で新聞配達してた。
産経新聞である。
新聞専売所の所長は、結構いい歳のオヤジであったが未婚で。
まあ、今の家紋程の歳ではなかったと思われるが、当時20代になるかならんかの頃の家紋としてみれば、結構な歳のオヤジなのに未だに結婚せずにいる所長は、なんか不思議なオトコって感じであった。
感じであったが、今になって思えば40代で未婚とか普通なので、あの所長は時代を先取りしていたんだなあと改めて思い知らされたわ。
他にも、新聞を届けていた中村橋駅前派出所の顔見知りの警官が二人、元陸自自衛官の男に刺し殺されたとかいうショッキングな出来事があったり。
配達エリアの中に漫画家のあだち充氏や小説家の新井素子嬢の事務所、と言うか住まいがあって、気がつく限り灯りが絶えたことが無かったとか。
ライバルの読売新聞配ってたヤツのヤマハメイト50のレッグカウルのトコに「スーパーマシン手嶋号 時速100億キロ とったらコロす」とか書いてあって(斬新な自己主張だなあ)と思ったとか。
まあ、いろんなコトがあった中、家紋は毎日を一生懸命生きていたのだ。
ちなみに そんな中で迎えた平成元年1月8日って日は、東京では大雪だった。
新聞配達してた家紋は、積雪の所為で前に進まんプレスカブをヒイヒイ言いながら押し歩き、普段なら6時前には配り終わる新聞が、9時を過ぎても配り終えられず。
専売所から来た応援のメンバーに頼んで、10時半くらいにようやく新聞配達を終えたのだ。
家紋にとっての平成元号改正の1日の思い出である。
昭和に生まれた家紋が、その時代の終焉を目の当たりにした当時。
それなりに衝撃というか、感銘というか。
新しく始まる時代に対するそこはかとない期待、みたいなものを感じてた記憶があって。
今、小6のムスメちゃんが、時代の節目に何を感じ取っているかは、至らぬ父親たる家紋には窺い知れんが。
それでも後になってから「あん時は北海道に旅行に行ってたよね」
とか言えるようには、たまさか なったからな。
その時に感じた思いを思い出すキッカケにはなるだろう。
そういう意味では、ムスメちゃんに親として思い出、と言うか思い出を思い出すキッカケをプレゼント出来て、まあ、良かったと思ってる。
うむ。
取り敢えず、家紋チの北海道旅行はまだまだ続くのだが、元号の変わる節目のタイミングで、自分が何を考えていたのか、記録に残しておこうと思って投稿してみた。
願わくば令和の時代が。
穏やかで明るい時代になりますように。
以上。
解散。
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