空から止めどなく降る雪は

人の力などあざ笑いながら、

地上を真っ白に覆い尽くします。

 

その凍てつく強大な力で、

この世の全てを凍りつかせ、

全ての音を消し去り、

時の流れさえも

止めてしまうかのように。

 

 

強大な自然の力の前で、

人間はあまりに無力。

 

その力に

どんなに挑もうとしたところで

なすすべなど何もない。

 

そんなものかもしれません。

 

 

だけど、あの人は

まだ血気盛んな若い頃、

 

この自然に挑み

「雪を降らなくしてみせる」

と大衆の前で宣言したそうです。

 

 

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「私が田中角栄だ。

小学校高等科卒業である。

諸君は日本中の秀才代表であり、

財政金融の専門家ぞろいだ。

 

私は素人だが、

トゲの多い門松を

たくさんくぐってきて、

いささか仕事のコツを知っている。

 

一緒に仕事をするには

互いによく知り合うことが

大切だ。

われと思わん者は

誰でも遠慮なく大臣室に

きてほしい。

 

何でも言ってくれ。

上司の許可を得る必要はない。

 

できることはやる。

できないことはやらない。

 

しかし、

すべての責任は

この田中角栄が背負う。

以上」

(田中角栄)

 

 

昭和39年、

44歳で大蔵大臣に就任した際に、

大蔵省幹部を前にして、

彼はこう述べたそうです。

 

 

相手を認め、

 

かといって

高等教育を受けていない

自分自身を卑下することなく

胸をはり、

 

気さくに話を聞く姿勢を見せる。

 

 

その上で、

 

俺がお前たちの上司だ。

 

できないことはできないという

判断をするが、

 

やると約束したことは必ずやりぬく。

 

全ての責任は自分が取ってみせる。

 

 

そんな絶対の自信を感じさせる、

 

こんな上司がいたら

その下で全力で支えたい。

 

そう思わせる言葉ですよね。

 

 

そんな彼こそが、

 

衆議院議員16期をつとめ

(1947年4月26日 - 1990年1月24日)

 

その間

郵政大臣、大蔵大臣、通商産業大臣、

 

さらに

内閣総理大臣

(1972年7月7日 - 1974年12月9日)

を歴任した

 

田中角栄

(1918年~1993年)

 

その人です。

 

 

自民党最大派閥の田中派を率い、

党人政治家でありながら

官僚政治家の特長も

あわせ持った彼は、

 

その膨大かつ明晰な知識と、

徹底してやり抜く実行力で

 

内閣総理大臣在任中には、

日中国交正常化や

日中記者交換協定、

金大中事件、

第一次オイルショックなどの

政治課題に対応。

 

彼が唱えた

「日本列島改造論」

による日本列島改造ブームは、

 

その後、物価の急上昇という

負の側面をさらしたものの、

一世を風靡しました。

 

 

首相退任後や

贈収賄事件(ロッキード事件)による

逮捕後も、

 

最大派閥田中派を通じて

政界に隠然たる影響力を保ち続け

キングメーカーとして君臨した

彼については、

 

その経歴、エピソードとも

枚挙にいとまがありません。

(詳細を知りたい方はこちらをどうぞ)

 

 

彼の故郷、越後の雪は、

 

空から止めどなく降り続き
地上を真っ白に覆い尽くし、

 

その力の前には、

誰も逆らうことはできない

存在でありながら、

 

春になれば雪解け水として、

山や田畑をうるおし、作物を育て、

人々の飲料水として供給され

人間社会を支えるように、

 

 

角栄もまた、

政治の世界、そして日本全土を
その強大な力で有無を言わさずに
覆い尽くす存在でありながら、

 

他の政治家たちや官僚たちを

強力なリーダーシップで率いて

国内外の問題に立ち向かい、

日本を揺るぎない先進国へと

発展させていった。

 

そんな人物であったと
言えるのかもしれません。

 

 

そして、

 

そんな彼をあなたは

「古き良き昭和の時代における

リーダー像」

だと思いますか?

 

それとも

「不安で不安定な令和の時代にこそ

必要なリーダー像」

だと思いますか?


どちらにしても

彼のリーダーシップ

 

今この時代を生きる私たちが

見習うことのできるものですよね。

【総理大臣に就任した頃の角栄】



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「僕は運だけでここまで来た。

人間の一生というのは、

結局、運だ。

実力があり、

いくら自分が自負しても

ダメなものはダメ。

 

努力、努力。

努力と根気と勉強。

 

こういったものが、

運を捕らえるきっかけになる」

 

 

人の一生には

実力だけではどうしようもない

力が働いている。

 

人はそれを運と呼ぶ。

 

運がなければ

いくら力があり努力をしても

どうしようもないが、

 

運をつかむためには

努力をし続けるしかない。

 

自分のできる

準備をし続けるしかない。

 

 

そのために、

 

「メシ時になったら、

しっかりメシを食え。

 

シャバには

いいことは少ない。

いやなことばっかりだ。

 

それを苦にして

メシが食えないようでは

ダメだ。

 

腹が減って、目が回って、

大事な戦はできん」

 

 

この世にはいいことなんか

たいしてない。

 

はじめからそう思っていれば、

たいていのことは耐えられる。

 

 

嘆いている暇があったら、

 

いつか

来たるべき日のために、

自分のやれること、

できるだけの準備をしておけ。

 

 

他に何もできない。

 

それなら

飯を食うだけでもいいんだよ。

 

それも必ず

「その時」のための力になる。

 

 

そして、

 

「いやなことは、

その日のうちに忘れろ。

自分でどうにもならんのに

クヨクヨするのは阿呆だ」

 

 

体だけでなく、

心の方も、いい状態に

整えておくことが大切だ。

 

 

自分の力では

どうにもならないことに

目をやって

 

そこに気持ちをとらわれて

どんなにあがいてみたところで、

 

無駄なものは無駄なんだよ。

 

何の役にも立たないものだ。

 

 

だから、

 

「無理は、しなければ、

しないほうがいいんだよ。

 

苦労というものは、

いい部分もあるが、

悪い部分もある。

 

苦労はしてもいいけど、

無駄な苦労は

しないほうがいいんだ」

 

 

うまくいかないこと、

つらいこと、

 

この世には

そんなことが山ほどある。

 

 

それは人の力では

どうしようもないことだ。

 

 

そんなものに向けて、

自分の中の

大切なエネルギーや

時間を浪費することなど、

 

まさに無駄。

 

忘れてしまうことが一番だ。

 

 

「食って、寝て、

嫌なことは忘れることが一番」

 

そういうことだよ。
 

 

【日中国交正常化交渉での田中角栄】

 

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「皆、僕のことを

逆境に強いと言うが、

必ずしもそうでない。ただ、

逃げ出すことはしない

ということだ。

 

じっとしていて、

吹雪のときはしばし待つ。

雪は人間を全部、

運命論者に変える」

 

 

「運命論者」

角栄はこの言葉を

どんな意味で使ったのか、

それはわかりませんが、

 

 

自分はどんなことからも逃げない。

 

だけど、この世には

人の力をはるかに超えるものが

あるということを、

自分は受け入れている。

 

自分は、

その逆らうことのできない

力を見極めながら、

じっと時を待つことができる。

待っていられる力を持っている。

 

それだけだ。

 

 

・・・という意味なのかもしれませんね。

 

そして私たちから見たら、

それこそが真に

 

逆境に強い

 

ということ。

 

そう納得していいのかもしれませんね。

 

 

【角栄の故郷、新潟の越後山脈と

雪解けの水がはぐくんだ田園風景】

 

(今回のブログは2020/3/19に公開した内容を加筆修正したものです)

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【こちらの記事も是非どうぞ】

当たり前のことをやりきる!! / 渋沢栄一の世界

 

【その他の名言記事へのアクセスは】
ここからアクセス!/過去の名言集記事 (# 251~# 260)

 

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1946年4月の第22回衆議院総選挙で

初めて立候補した時の

田中角栄の演説。

 

それもまた、

彼の伝説になっています。

 

「三国峠をダイナマイトで

吹っ飛ばすのであります。

そうしますと、

日本海の季節風は

太平洋側に吹き抜けて

越後に雪は降らなくなる。

出てきた土砂は

日本海に運んでいって

埋め立てに使えば、

佐渡とは陸続きになるのであります」

 

 

・・・まるでマンガのようなアイデアを

 

(真剣に「できる、やる」と思って

いたのかどうかはともかくとして)

 

民衆に向かって、

大真面目に語って見せた

角栄は当時27歳。

 

 

この選挙では、

有力者に与えた選挙資金を

流用されたり、

 

見込んでいた支援者が

立候補するといった誤算もあり、

 

候補37人中11位(定数は8)で

落選したそうですが、

 

 

「約束したら必ず果たせ。

できない約束はするな」

(田中角栄)

 

 

と常日頃から語り、

 

後に、中国との国交正常化や

自身の「日本列島改造論」に基づき

列島改造ブームを巻き起こした角栄が

 

 

もしこの時、当選していたら

 

彼は本当に三国峠を吹き飛ばし

佐渡島を陸続きにしようとしたのか?

 

ちょっと興味がありますね。

 

【若き日の田中角栄】