■「大調和の神示」より
汝ら天地一切のものと和解せよ。
天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。
天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。
汝が何者かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。
われ嘗て神の祭壇の前に供え物を捧ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよ教えたのはこの意味である。
汝らの兄弟のうち最も大なるものは汝の父母である。
神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。
天地万物と和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である。
本当の和解は互いにこらえ合ったり、我慢しあったりするのでは得られぬ。
こらえたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。
感謝し合ったとき本当の和解が成立する。
神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。
天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波をよう受けぬ。
皇恩に感謝せよ。
汝の父母に感謝せよ。
汝の夫または妻に感謝せよ。
汝の子に感謝せよ。
汝の召使に感謝せよ。
一切の人々に感謝せよ。
その感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。
われは全ての総てあるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。
われは此処に見よ、彼処に見よと云うが如くにはいないのである。
だからわれは霊媒にはかからぬ。
神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。
われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。
われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕われる。
(昭和六年九月二十七日夜神示)
長年苦しんだ病が、憎んでいた親に感謝できたとき嘘のように消えてしまった・・・そのような実例は沢山ある。
感謝と反対の心・悪感情が如何に我々の心身や環境に影響を与えることだろうか。
また、「有って当たり前」と思っていることが、よく考えてみると「有難い」ことだらけである。
我々は一人では生きられない。総てが何かのおかげなのである。それに気づいたとき、すべてのものに感謝できる。そしてすべてのものを動かして(生かして)いる、大いなる力の存在を感じ、感謝・和解の心はその力と方向を同じくするものであることを感じる。