初めて深夜放送を聞き出したのは小学5年生のときでした。
学研の付録についていたラジオを寝床に持ち込んで小学生ながら夜更かしをしてました。

ほぼ毎日聞いていたのがMBSヤングタウンで、22時から~23時半の放送でした。
曜日ごとに担当が代わるのですが、どの曜日も本当に楽しかったです。

月曜日の担当は聴き始めは笑福亭鶴瓶さんでしたが、1982年に土曜日の明石家さんまさんと入れ替わりになり、さんまさんは今でも土曜日のヤングタウンを担当されています。
アシスタントだった堀江美都子さんのことが中学時代に大好きだったんですが(部屋にポスターを貼ってました)、この番組で共演していたあさみあきおさんとその後に結婚なさいました。
それから30年の時を経て、水木一郎さんのコンサートの終演後に楽屋挨拶に伺った際に堀江美都子さんとあさみあきおさんにお会いすることができて超感動しました。

火曜日はやしきたかじんさんと岩崎宏美さんのときから聴き始めて、その後のチャゲ&飛鳥、さらにその後の嘉門達夫さんが好きでした
嘉門達夫さんのときは良く投稿もしており何度か採用してもらいました。
今でいうハガキ職人ですが、ネタ帳を母親に見つかった時は「あんた何書いてんの?」と言われ恥ずかしかったです。(特にその後のとんねるずのオールナイトニッポンのネタ帳を見られたときが一番恥ずかしかったです。)

水曜日は原田伸郎さんの印象が強かったです。

木曜日は笑福亭鶴光さんと角淳一アナウンサーから始まり、その後の島田紳助さんの時に電話出演させていただいたのですが、大学受験前だったので紳助さんに「受験頑張れよ」と言われて感激しました。
紳助さんの後を継いだのはダウンタウンさんで、当時関西では絶大な人気でした。内容も非常に面白かったです。

金曜日は谷村新司さんとばんばひろふみさんの少しHな話がとても刺激でした。

土曜日は公開録音で明石家さんまさんから笑福亭鶴瓶さんに変わってもずっと聞いてましたね。
鶴瓶さんは、さんまさん同様に今も日曜日のヤングタウンを担当されています。

日曜日は途中から始まったのですが、担当は西川のりおさんでした。

中学生になるとヤンタン終わってもオールナイトニッポンを聞く生活をしてました。
好きだったのが土曜日の笑福亭鶴光さんと火曜日のとんねるずさんでした。

大学生になるとハマったのは北野誠さんがやっていた「誠のサイキック青年団」です。
この番組は関西ではカリスマ的な人気を誇っており、リスナーはサイキッカーと呼ばれていました。
番組内で「答の言えないクイズ」という芸能人のスキャンダルについて問題を出し(例えば女優◯◯が今付き合っているのは誰か?など)、リスナーが答を送るのですが、放送では答ずに正解したリスナーだけが分かるというものでした。
しかしサイキックミーティングというイベントでは答を言ってしまうんですね。
色々な問題もありながらも10年以上も番組は続いたのですが、最後は打ち切りのような形で誠さんもろとも終わってしまいました。

大学時代には楽しいことが増えて次第にラジオは聞かなくなってしましました。
医師になった後も多忙のためほとんど聞いていなかったのですが、駆け込みドクターで共演したオードリーさんのオールナイトニッポンを聞き始めたところ、燻っていたラジオ熱が弾けてしまい、今では毎日のように深夜放送を聞くようになってしまいましたとさ。

おしまい