平成三十一年三月六日早朝は雨が降っており、予定の終業拝礼も

水の泡、と思ったが、今日ばかりは天が味方をしたようであった。

 

 

アメリカにいた頃から懇願していた大本聖地の訪問は、

五日間にわたる大道場の受講という形をとり、現実に実を結んだ。

 

 

拝読されている方々は、「大本という場所がどうかしたのか」

と思われるかもしれないが、知りうる限りでは

THE(ディ)OOMOTO(大本)であり、

物質偏重主義の下で失われた神道の”ミチ”を

誰もが理解できるように、その詳細に至るまでを分かり易く説いた教えが、

その別格なる使者により齎された場所であると、そう思えて止まない。

 

 

 

綾部にある神殿では、大本皇大神という宇宙万物の根源神が祀られ、

建造物の裏手にある本宮山と呼ばれる小さな山は、

天地剖判に由縁のある御神体であると言われている。

 

大本の祭神は、極悪たる邪神をも言向け和し、鬼や大蛇さえその威厳に

目に涙を浮かべると唱われる。

 

 

世界では、悪魔とかルシファー、サタンと呼ばれるものを崇め奉り、

ヤハウェ、アドナイという”劣等な”聖書の神を憎悪の対象とする連中が、

その悪徳・悪知恵の齎す物質的現世界での自由を我が物顔にしているが、

 

 

出口王仁三郎ないし”聖師”と呼ばれる人物は、その悪行により

邪鬼・邪霊と成り果て地獄へと落ちる人のミタマも、精霊にその所以あるなれば

霊魂を浄め、神の坐す国へ上り行くべく努むのが道理と説く。

 

 

 

なぜなら、”地獄の閻魔様”とは国常立尊と呼ばれる天地創造・

万物一切の絶対神であり、

それは出口なお開祖と同一の存在である、と大本は言う。

 

 

ともあれ、長年切望していた大本聖地への参画の実現には

感銘と感動の念が絶えることがなかった。

 

 

大本の祭神は、因縁のあるミタマを引き寄せ、

地上天国建設のための御用に使うということが言われているが、

 

かのような事業がある、または既に進行中であり、

本当に、この世の楽園が実現し得るものなのであれば、

 

誰もが、「何かさせてもらえることはないか?」と

 

申し出るのではなかろうか。