掌篇『猫便』
さいきん便が黒い。
しかも超固い。
別に触ったんじゃないぜ。
出す時の感じで分かるだろ。
何だか妙に気恥ずかしいな。
変なこと言わせんじゃねーよ。
つーか勝手に話してるだけなんだけど。
固すぎて一気に出ないから分離していて。
カリントウに似ている。
いや、食べ物にたとえるのは趣味が悪い。
他にそっくりなモノが身近にあったはず。
そうだ、まるでネコのウンチみたいに。
やはりネコ探しばかりしていて呪われたんだろう。
彼らは魔力を持つと昔から言われているもんな。
下らんジョークはさておき、何かの病気かもしれない。
食欲がなくてコーヒーとタバコしか口にしない日々が続いている。
健康を保てるはずがない。
とはいえコーヒーには水分が含まれている。
そのうえタバコは意外にも高カロリー。
だから便意が留まることはない。
ストレス解消の手段はコーヒーとタバコの他にスマホのゲームがある。
つくづく不健康な生活だな。
最近の『パズドラ』は既存の人気作品とコラボした期間限定クエストを定期的に配信するようになった。
コラボするのはゲームやアニメ。
パチンコの傾向にも似ている。
パチンコもゲームかつ液晶はアニメだから、当然の流れともいえよう。
先日は『ドラゴンボール』コラボが大盛況だった。
ドラゴン繋がりということもあって、世界観にも違和感がない。
とはいえアニメ最新作の『ドラゴンボール改』に出てくるキャラがメイン。
初期しか知らない読者には物足りない。
バトルに勝ってドロップできるのは、気色悪さしか感じない新作の敵キャラばかり。
ボスは原作漫画でも有名なフリーザ。
ゲット出来れば嬉しいが、レベルの高いステージじゃないと付いてこない。
そもそも倒して入手できるのは運次第なので、有料のコラボガチャの方が有利だ。
それも運に左右されるがドロップよりかは確率が高い。
ボス戦の惜しいところでゲームオーバーになった際、コンティニューできる魔法石を買ったことはある。
それは例外として基本的に課金するつもりはない。
それでガチャをせずにいたものだから、見知らぬキモキャラしか残らなかった。
彼らには何の思い入れもないから、全く楽しくない。
まあでも援軍を呼べるシステムがあって。
そのリストにスーパーサイヤ人の孫悟空が出てくる点は有難い。
けれども自分の持っているキャラは好きじゃないので、育てる気にもならず。
期待外れなコラボだった。
しかし『パズドラ』自体は面白くて続けている。
今度のコラボは『聖闘士聖矢』だった。
これまたドンピシャの世代なのでワクワク。
いずれも古い漫画なので「おっさんホイホイ」なるネットスラングが脳裏をよぎる。
けれど今の若者にも支持されている息の長い作品だ。
その歴史の長さ故に初期のキャラだけ知っているのでは楽しめないということもあるだろう。
リアルタイムで遭遇したキャラを好みがちなのは仕方ない。
そんなことを考えつつ前回の結果に対する落胆もあって、このコラボにも期待はしていなかった。
ところが知ってるキャラが簡単に仲間になるので驚いた。
前回クレームがついたりしたんだろうか。
さておき「週刊少年ジャンプ」連載の漫画が続くとなると、どうも腑に落ちないことがある。
ワールドカップの真っただ中だというのに、どうして『キャプテン翼』じゃないのか。
サッカー選手がドラゴンと戦う設定に難色を示されたのかもしれない。
『ドラゴンボール』や『聖闘士聖矢』はファンタジー系の作品なので、剣や魔法の世界とも相性が良い。
両者ともSFにカテゴライズすることもできる作品だ。
『ドラゴンボール』はファンタジー色が強かったけれど、未来を舞台にしている。
それに加えて、宇宙人との戦闘がメインのSF路線になっていった。
『聖闘士聖矢』は星座にまつわる神話が下地だ。
その点でスペースファンタジーの略語としてのSF作品だといえよう。
どうもSFというと科学的想像力を駆使するサイエンスフィクションの印象を持ちやすく感じる。
けれどもスペースファンタジーは舞台さえ宇宙なら知識など関係ない。
このことを分かっている人はどのくらいいるのか以前から疑問だった。
そもそも科学は身近なものだけれど宇宙は遠くて想像に頼るしかない側面が多い。
高校時代に天文部員だったから、合宿の時に天体望遠鏡で土星を見た。
けれど、ボンヤリ輪っかが見えるだけで、図鑑に載っているような細部は確認できなかった。
久々に夜空を見たくなって窓の外に目をやると曇っていて星は視えない。
ガッカリして項垂れたところ、路傍にコスモスの花が咲いているのに気付いた。
殺伐とした路地裏が華やいでみえる。
だが連中は有毒らしい。
そのギャップは悪女を思わせる。
まあしかしそれについて深く考えるのは止めておこう。
もう女難には懲り懲りだ。
名前の響きはコスモにも似ている。
『聖闘士聖矢』における「小宇宙=コスモ」とは、外宇宙と内宇宙を結ぶパワーの呼称である。
それが発揮される時いかなる原理が働いているのかは描かれない。
勢い任せの肉弾戦ばかり。
『ドラゴンボール』も似たようなところがある。
だがそれは決してサイエンスの常識と矛盾するものではない。
宇宙を生み出したとされるビッグバンが何なのか今もって謎だらけなのだから。
もちろん専門家は理解しているつもりのようだが、証明は不可能な現象。
果たしてそれを科学的と呼んでいいのかさえ疑問に思う。
データ改ざん疑惑で騒がれた小保方さんどころの話じゃない。
証拠など微々たるもの。そこに類推を加えて真実味を帯びさせているに過ぎない。
ならばテレビゲームの方が圧倒的に科学的といってもいいだろう。
科学の力なしに『パズドラ』のファンタジー世界は成立しない。
けれども物理学者の研究する宇宙の秘密は非科学的な想像力に支えられている。
何て倒錯的なことになっているのだろう。
これは別にテレビゲームを称賛して物理学を貶めることが目的なわけでない。
このように奇妙な関係に満ち溢れた世界だからこそ起こりうる事件なんだ。
それを説明するための比喩みたいなもの。
これは容疑者の私物から得た妄想である。
被害者との接点は聖闘士の繰り出す技のように曖昧で。
殺しの手口はビッグバンさながらの不可解さに覆われている。
まさにパズルのようなヤマ。
きっと犯人はドラゴンなのだろう。
なんてことはあるまい。
しかしネコの可能性は考えられる。
迷宮に潜む泥棒猫。
いうなれば「パズドロ」だ。
どうもギャグが冴えないので再びタバコを喫んでいると、急に催してきた。
やはり黒い。
まるでブラックホールのようだ。
その深淵に意識が吸い込まれ正気が薄れてゆく。
不穏な未来を暗示しているのか。
好きなゲームのことでも考えれば少しは気が晴れるだろう。
『パズドラ』以外に『艦隊これくしょん』も楽しい。
略して「艦これ」と呼ばれることが多い。
旧海軍の艦隊を女体化させた不思議な設定の作品だ。
海や船に女性のイメージを重ねる風潮は古くからあるか。
とはいえ異色な側面を持つゲームなことは確かだ。
やはり風変わりな『ファイアーエムブレム』に似ていると感じた。
「艦これ」で撃沈された艦娘は鎮守府に帰艦しない。
つまり死ぬ。
死ねば二度と帰らない。
また入手できるのだけれど、築き上げた信頼の回復は最初からやり直しだ。
オートセーブされるブラウザゲームなので戦闘中のリセットが効かない。
そこがシビアだ。
『ファイアーエムブレム』のキャラも死ぬと戻らない。
だから戦闘中のリセットを繰り返すことで何とか進めていく。
全てのキャラが揃っていないと真のエンディングを見られないからだ。
なおかつ特定のキャラが生存していないと仲間にならない敵もいたりする。
リセットできないが再会できる「艦これ」とどっちがヘビーだろうか。
いずれにせよゲームとしては異端の部類に属する。
同時にそれはリアルさを投影している。
特に「艦これ」は現実の戦争を基礎にしているから尚更つらい。
別れは無慈悲かつ平等に訪れる。
死も、恋も。
ローラ、ビアンカ、ジョニー、ボブ、リカ、アケミ、セイヤ、タゴサク。
かつて愛した者たちの記憶が昨日のことのように蘇る。
時間軸が狂っているから誰と何をしたかは混乱している。
ああ、彼らは二度と戻らない。
ターゲットからの警告により殺された者も多い。
自分で選んだ仕事だ。
辛いが気にしちゃいられない。
最初は気丈に振る舞っていた。
でもそれも3度目には崩落した。
あれから長らく猫は飼っていない。
何だか悲しいことばかり思い出してしまう。
考えれば考えるほど気が滅入るばかりだ。
――人生最後の事件になるのかもしれない。(つづく)