君に居場所がないのなら | 悪魔が昨日、し忘れたこと。@アメブロ

君に居場所がないのなら

リアルな社会の居場所といえば「家庭、学校、会社、サークル」である。しかしながら家庭の不和や学校のイジメや仕事ができない場合、居場所を失う。サークルは単なる遊び仲間の場合もあれば、宗教など思想団体のことも。

リアルな居場所がなければ「SNS」や「ゲーム」など架空のサークルに入ったりする。SNSやゲームは、リアルに居場所がない人の「隠れ家」として機能している。だから別にそれは何の役に立たなくても良いというか、そのままで役立っている。

宗教や思想やSNSやゲームに逃げることができなければ、もう死ぬしかない。それを喰い留めてくれるのが、宗教や思想やSNSやゲームといった「フィクション」である。もちろんフィクションは自分が能動的に動くものばかりじゃなくて、本でもテレビでも何でもいい。とにかく自分の居場所がない人は、隠れ家を作らなければ、死んでしまう。

君に居場所がないのなら、そういう場所を見つけて、何とか生き延びてほしい。どれも気に喰わなければ死ぬしかないが、その前に幾らでも受け入れてくれる場所がある。そのことだけは忘れないでいてほしい。自分で探すのが難しければ、誰かに相談することだ。人と話しているうちに、自分の好きなものが何か気付くはず。とりあえずそこに逃げて、後はリアルでの居心地の悪さが過ぎ去るのを待つだけだ。

人間はいつか必ず死ぬ生き物だから、無理に自ら命を絶つ必要なんてない。死んだところで行きつく先に居場所があるかどうか、誰も本当のところは知らないのだから。宗教はそこに居場所があるように説明するが、あくまでそれは可能性の話に過ぎない。臨死体験がベースだったとしても、それは自分の脳が生み出したフィクションかもしれない。だからそんな不明瞭な場所に助けを求めるよりかは、明確なリアルのフィクションを選ぶべきだ。

居場所がないと自分が社会のお荷物に思えるけれど、別に役立たなくてもいい。それはSNSやゲームが、ただ消費されるだけで居場所として機能しているように、逆にそれらを利用するユーザもまた、作り手にとって大切な存在だからである。

ただひたすらSNSで会話したりゲームで遊んだりしているだけで、君は役に立っている。そもそもそれらの多くはスポンサーを得ているのだから、君が参加すれば儲けに繋がる。勉強や仕事ができなくても、間接的に社会の役に立てる方法は無限に存在する。だから君に居場所がないなんてことは、絶対にありえない。無限の宇宙空間に浮かぶ地球の上で暮らしている時点で、既に。(了)