毎年1月3日は母校の初蹴りの日。
午前中は高校。午後は小学校。
ここ数年の定番。
特別となった、今年の初蹴りのことを思い返す。
毎年、小学校のグラウンドでボールを蹴っているが、今年30余年ぶりに、実父とグラウンドに立った。
元旦。娘がもらったお年玉を、実家に忘れていた。
初蹴り終わりで、取りに行く予定だったが、父が小学校に持ってきてくれた。
当時、私を指導してくれたコーチは今も現役で、父の姿を見るなり、慌てて手に持っていた全ての荷物を若いコーチに預けて、父との再会を喜んでくれた。
お互いの健康を気遣い合い、コーチに促されて父も全体の集合写真に収まる。
OBたちのゲームが始まる。
私も出場。立っているだけだけど...
コートの傍らで腕を組んでゲームを見る父。
「いいところを見せないと...」
と、ゲーム中の私が思っていることに、自身が気が付いた。
小学生の頃の私が、胸に抱えていた感情なんだろうと思った。
子は親を意識する。
極々自然な感情なんだと思う。
かっこ悪いところより、かっこいいところを見てほしい...
褒めてほしい...
みんな、そう思うんじゃないかな。
それと、同時にダメだしされたら嫌だろうな...
そういえば、ダメだしされてたな。
そんなことも思い出していた。
30余年ぶりに、小学校のグラウンドで、40を過ぎた子がボールを蹴り、70を過ぎた父がその姿を眺める。
当時とは年齢がまるで違うが、父と私の状況が、小学生の頃の感情を呼び起こした。
以下、私の経験上の主観。
子と親の関係。
ゲーム後にダメ出しだけをする親は、ナンセンスだと思う。
成長するチャンスを摘んでいるということに、気が付いていない。
ただ、親のサッカー観を、子に押し付けているだけだ。
なぜなら、そこにチームとしての課題や約束事、指導者と選手の関係性、選手個人のチャレンジが見えていないのだから。
だから、子は受け入れないし、受け入れられないんだと思う。
そして、一方的であり、双方向のコミュニケーションが取れない。
この関係がまねく、結末はこうだ。
→チームワークや指導者よりも、親を意識したプレーになる。
→萎縮し、本来のパフォーマンスが出来なくなる。
→親が来ない日のゲームは、いいプレーがたくさん出る。
→ダメ出しするだけだから、見に来て欲しくないと思う。それを言えずに、理解者だけにそんな胸の内を話す。
→とうとう、見に来て欲しくないと伝える。
これを読み、こう思われる方がいるだろう。
いやいや、そんなことない。
ダメ出しするけど、うちの子はすごく成長してるよ。
ダメ出ししなければ、もっともっと成長している可能性があると思います...
極端に言えば、何もしないことが子を選手を成長させる。
褒めたいと思うことがあれば、褒めてあげてほしい。それを無理矢理探す必要はないと思う。
選手が落ち込んでいれば、そっと背中を押してやるくらいでいい。
親のサッカー観を、子に押し付けるのはナンセンス。
1月3日。父が言ったのは、
「先に帰るぞ」
だけだった。
親も子も成長したかな...