2011年以来4年ぶりとなるTOEICの試験で、思い出したことは、「日本語で理解したことは役に立たない」ということだ(前回は気づいてすらいなかったかもしれないので、新たに発見したことかもしれない)。

 一問20秒で回答しなければ、全問を回答することができないという状況の中で、分からない単語があれば、和訳することはできないし、全体の意味を理解できなければ、選択肢の中から適切な単語を選ぶことはできない。

 そんな時、役に立つのは、なんとなくこれかもしれないという勘だ。もちろん、本当の勘だったら正解することなどできないわけだけど、どこかで聞いたことがあるかもしれない。どこかで読んだことがあるかもしれない。という経験に基づく勘であれば、それは正解である可能性が高いのである。

 もちろん日本語で理解しておくことは無駄ではないし、必要なのかもしれないが、短時間で正解を選択するためには、それに重ねるように、英語で慣れておくことが不可欠なのだ。多くの先生方が、音読を推奨する理由がここにある。正解は理解だけの先にあるものではなく、慣れの先にこそあるものなのだ。

 慣れを身に着けるためには、膨大な勉強量(音読量)が必要である。目的意識があるか、せっぱつまっているか、勉強を楽しめるか、それ以外の何かか、自分を駆り立てるものが必要だ。