4月26日夜10時、東京駅で集合し、久しぶりのマイクロバスで石川県に行って参りました。
今回はマイクロバスなので、運転できる免許を持つ方々が4人交代で能登に向かいます。
長距離なのでバスを運転できる方が複数いると本当に助かりますね。
前回はワゴン車で10人でしたが今回は16人。
前回もご一緒した方がいれば初めましての人も、また「お久しぶりです!」の人もいます。
バスの中で挨拶をした際、お久しぶりの方が
「実はここしばらく腰痛に悩まされていまして、今回はできるだけ大きくてかさばるけど軽いものを持って仕事をしているふりをしたいと思います」
と言っていて「その手があったか!」とちょっと感動しちゃいました(笑)
私も、自他ともに認める「腕力ない体力ない根性ない」の人間です。
「大きくてかさばるけど軽いものを持って仕事をしているふりをすればいいんだ!」と、何やら天啓を受けたような気持ちで大爆笑してしまいました。
翌朝5:30。
富山の新湊漁港の脇にある「きときと食堂」で朝食…なんですが、GWに入っていたからでしょうか、早朝と呼ぶにもまだ早い時間だというのに店の前には人が並んでいます。
マジか…。
ここってそんなに人気あるの?
なんつーか、都心のスタバのようにまず席を確保し、注文をしにいき番号札をもらい、番号を呼ばれたら取りに行くという学食のようなシステムなんですが、開店と同時に店内は人がごった返しています。
こんな時間なのに、観光に行く家族連れから、なんかボラに行きそうな同じ匂いのしそうな方々までいっぱいいて駐車場もびっしりです。
いやあ、GWはずっとこんな感じなのかな?
私が食べたのは海鮮丼1500円。
海老フライも美味しそうだったけど、そんな時間がかかりそうなものはとても食べられない雰囲気でした
食事のあとはそのまま穴水町のボランティアセンターへ。
代表がボラセンで仕事の話をしている間、私たちは駐車場で作業着に着替えます(笑)
おニューのヘルメットの出番です(笑)
最初の現場は元ユースホステルで、今はマリンレジャーのアクティビティなどを楽しむ宿泊施設になっている場所です。
「仕事のボリュームは、16人で今日中に終わるくらいの感じですか?」
と代表が聞くと、ボラセンの方は
「たぶん…。終わるといいなぁって感じ?」
とのこと。
つまり、かなりハードな現場だということです。
建物は2階建て。
すでに2階の一部には工事作業員の方が宿泊しているようです。
そのため、不用品を全部出して廃棄し、宿泊所としてフルに使いたい感じでした。
こういった現場の場合、とにかく流れ作業が一番効率がいいです。
地域によってゴミの分別のし方も違うので、燃えるゴミや燃えないゴミだけではなくプラスチックや金属など、どこまでを分別するか確認し、置き場所を決め指示を出す人員を置きます。
そして搬出の指示も細かく出す人が必要です。
「2階から布団排出!女性3人くらい行って」
「これ重たいから男性4人くらい来て」
という感じで中からどんどん搬出し、外で待っている人達がそれを集積場所に運びます。
一旦流れ作業が動き出すとみるみる搬出が進みます。
中には立派なスピーカーや楽器も出てきますが、それも捨てるんだそうです。
「勿体ないよねー、メルカリで売れば結構いいお値段で売れそうなものがいっぱいあるのにー」
貧乏性の私は、まだ使えそうなオーディオ製品などが出てくると勿体なくてため息が出ちゃいました。
「うわー、なにあれ。あんな高そうなカメラも捨てるの~?」
誰かがカメラを肩に担いでウロウロしているのを見てあんな高そうなものまで捨てるのかと驚いていたら、なんと!テレビ金沢の取材カメラがいつの間にかボラの中に入って取材をしていました
(↑スーツ姿の人は取材の人。邪魔よ!邪魔!)
「うわっ、タヌちゃんがインタビューに掴まってる~!あっちに行きたいけど、行ったら掴まるかもしれないから行けないじゃん!」
「いつまでやってるのかしら。お水を取りに行けないんだけど」
ぶっちゃけ取材班は大不評でした(笑)
まだ4月だというのに、いくら軽くてかさばるものをと思っても、何度も往復して運んでいると汗が出てきます。
それでも作業はどんどん進み、今日中に終わればいいなと言われていた仕事は午前中で終わってしまいました(笑)
やったぁ、早く終わったから早く帰ろう!
なんてことになるはずはなく、ボラセンに連絡してお昼休憩の後また別の仕事を振り分けてもらいます。
建物の海側にはテラスがあって、そこから見る海はとっても綺麗でした。
地震でそうなったのか分かりませんが、コンクリートの部分は割れたりヒビが入ったりして今にも崩れそうでしたが、お昼用に買ってきたおにぎりを食べながらボーっと海を見ていました。
地震が来る前は、釣りやカヤック(カヌー?)などのアクティビティを楽しめていたようですが、そんな平和な場所に早く戻って欲しいですね。
次の仕事の詳細をもらうためいったん駅前のボラセンに戻ると、そこでは小さいながらも復興マルシェのようなお店が出ています。
何を売ってるんだろう。
でもお土産なんか買えないよ。ヘルメットも入れてきたから荷物パンパンだもん。
そう思いながらもマルシェを覗くと
「子供とボランティアの方々は全部無料だよ~!」
なん…ですと?
これが友人が以前タダで牡蠣をふるまってもらった「おもてなし」か?
っつーか、お昼食べちゃったんだけど!
お腹いっぱいなんだけど~~!
っつーか牡蠣はもうシーズン終わりですか~?残念~!
マルシェには地元の方々もいっぱい来ていたんですが、ボラ姿の私たちを見ると、お店のお兄さんは子供たちにも
「ちょっと待っててね、ボランティアの人が優先だからね」
と言って私たちに御馳走してくれようとします。
さらに子供たちに
「ボランティアの人達が来てくれるから町はどんどんきれいになっていくんだよ。この人たちが来てくれなくなったら、この町は終わっちゃうんだから」
と、なんだかくすぐったくなるような説明をしてくれています。
「てへ、それほどでもぉー」なんて照れていたら
「この人たち、お金ももらわないのにこんなことやってるんだよ。おかしな人たちだよね~」
なんて言っていました。
おい!言いかたよ言いかた!(笑)
その通りだけどさー
マルシェのお兄さんと一緒にゲラゲラ笑いながらジュースなどを頂きました。
バスに戻ると、みんなが何やら茶碗のようなものを手にしています。
「ちょっと、あんたたち!荷物はギューギューだっつーのにナニ買ってきてるの?」
と呆れていたら、なんと!買ってきたのではなく地震で崩れたりして商品にならなくなった輪島塗りの食器やお盆などを無料配布していたのだそうです。
そっか…輪島も相当被害があったんだよね。
一見問題がなさそうな商品だけど、売り物にならなくなった漆器もたくさんあるんだろうなぁ。
午後は住宅地の新しい現場です。
周りの家を見ると、黄色いのが半分、赤いのが半分といった感じで紙が貼られています。
黄色は注意、赤は中に入ることも出来ない家です。
赤い紙が貼られている家にはボランティアは入れません。
分かってはいましたが、この地域の半分は取り壊しになるんでしょう。
ご依頼の家は、もう取り壊しが決まっている家です。
必要なものはすでに搬出済みで、住人もすでに住居を移しているそうです。
ただ、家財が残っていると業者が取り壊してくれないようで、残っている物を全部外に運び出す必要があるみたいです。
いつものように代表が「何をどこに運ぶか、どれを処分してどれを残すか」などを依頼者の方に確認します。
そして分別して置く場所を決めたら、そこから一斉に家財の搬出です。
畳は濡れていなければそれほど重くないんですが、濡れていると男の人でも二人がかりじゃないと運べなくなります。
この日は現地集合の方や県から派遣されたボラの方などを含め20人くらいの人数がいたのですが、それでもこの量を3~4時間で搬出したのですからメチャクチャ頑張りました。
こんな現場に県が2~3人のボラを置いていって、1日でどうにかなると思いますか?
実際、私たちは家から家財を運び出しましたが、この後これを処分する人手も必要です。
大きな家を取り壊すというのは本当に大変なんです。
たとえ地震や津波がなくても、何かがあった時に大変な負担になるので、常日頃から使わないものは断捨離につとめた方がいいよなと、私も思うようになりました。
この日は、夜宿についてテレビをつけたら
「ああっ!タヌちゃんがニュースに出てる!」
なんと!午前中に受けていたインタビューがもうニュースになっています。
いやあ、テレビ金沢って日テレ系列?
タヌちゃん全国デビューじゃん!
なんというか、GWだからかどこに行ってもすぐにテレビや新聞の取材が来て、ちょっと驚いちゃいましたね。
2日目は個人のお宅を2軒。
そこから輪島市の状況を見てきました。
3日目は穴水町ではなく七尾市のお寺の後片付けのお手伝いです。
七尾市は私たちが宿泊させてもらっているお宿がある場所で前回作業した地域ですが、いまだにボラセンが出来ていません。
なのでお寺の住職さんが直接、市議の方に談判し、ボランティア作業を依頼されることになったようです。
七尾市は加賀藩の前田家ゆかりの由緒あるお寺がいっぱいあるのに、その多くがほとんど手つかずの状況なのだそうです。
この日は別のグループと2班派遣されてきましたが、3連休の最終日とあってどちらのグループも午前中しか作業が出来ません。
人数の多いうちのグループは崩れたお堂の瓦を集める作業、別のグループはお堂の中の作業です。
あの奥の、屋根から落としてあるのが瓦です。
どんだけ~?
これがまた建物の下になっていたり半分土に埋まっていたり、思っていたより量が多かったんです。
お堂は石碑やお墓の裏手にあり、大勢で入ることが出来ません。
ここはもう、人数の多さを生かしバケツリレーの要領で奥から軽トラまで1枚1枚瓦を手渡しして行くことになりました。
が、最初は良かった瓦リレーも作業場所が奥になるに従い間隔が少しずつ広がり、少し腕を伸ばさないと届かなくなってきます。
最初は笑顔で右から左へ渡していたのですが、そのうち
「腕を右に伸ばしー、身体をひねって左に伸ばすー!シェイプアップ!シェイプアーップ!!」
ってな感じで、大変ウエストに響く運動になってきました(笑)
「これ絶対ウエストくびれるよねぇ~!」
みんなで大笑いです。
瓦は大変重いです。
100枚くらい載せただけで軽トラの積載重量をオーバーします。
2台の軽トラで代わる代わる運んでいきましたが処理場に運ぶのが追いつきません。
散らばっていた瓦は回収しましたが車がないため、集めた瓦を本堂の前に積み上げて、私たちの帰る時間となりました。
帰る前、本堂の中を見せてもらえるということになったんですが、長靴の中には一度はくと脱ぐのが大変なのもあって、一部の人達だけが見学に行くことになりました。
その人達が返ってきた時、「ひど~い」とゲラゲラ笑っていたのでどうしたのかと思ったら、中に置いてあったおみくじをひいたらとっても辛辣なことが書いてあったんだそうで(笑)
「彼女の縁談は『騒ぐと壊れる』ですってー」
「えー?片付け手伝ったのにその仕打ち~?(笑)」
しかし、それよりも友人のおみくじの方がもっときつかったようで…。
縁談 → あきらめろ
ですって
オーマイガー!
身も蓋もないっつーか、神も仏もないってこのこと~?
いやあ、最後まで大爆笑です
帰る途中、氷見市にある「番屋街」というところでお風呂に入り、美味しいお寿司を食べて帰宅です。
今回はメッチャ働きました。
そして色々と楽しいこともいっぱいありました。
たまに体を動かすのは、ある意味ストレス解消なんですよね。
とはいえ、私たちも誰にでもボランティアを勧めているわけじゃありません。
こういった災害が起きると、どうしてもメンタルを病んでしまう人も一定数います。
泣いてる人や壊れた家を見ると、それだけで悲しくなって涙が出ちゃうような人は、あんまり現場に行くことはお勧めできません。
友人もいつも言っています。
「私たちは、良くも悪くも慣れてしまっているから」
津波に飲まれたがれきの山はすぐに腐って悪臭を放っていましたが、それに比べたら瓦を運ぶなんてとっても楽ちんなんです。
そのがれきの中から誰かの写真が出てきても、どれで動揺することもありません。
ボランティアというのはどこかがマヒした能天気人間の集まりみたいなものです。
感謝されると嬉しいけど、感謝してくれる依頼者がいない現場の方が多いので、そこも全く気にしません。
むしろ、被災者の方に直接接する避難所のボランティアの方々の方がストレスが大きいようです。
みんな辛い思いを誰かにぶつけようとするので、そこは流石のボランティアもメンタルを削られるんだそうです。
休憩中、トラック運転手の人とお話しする機会がありましたが、その方は関西から応援に来た解体業者で、この1週間で2軒のお家を解体したんだそうです。
1週間で2軒…。
解体業者が何社入ってきているのかは分かりませんが、居住不可とされたお家の解体だけでも何年もかかるような気がします。
それでも、解体が始まっただけでも状況は良くなっているんでしょう。
日本は災害大国です。
これからは水害を心配する季節になります。
誰かが大変な時にはすぐにでも助けられるよう、心構えだけは持っていたいですね。
以上