「はぁはぁ、ゆ、弓弦く…?あっんぅっ」
ドサッ
花の手から、持っていた鞄と弓弦に返しそびれていたコートが、音を立てて滑り落ちた。
ーこれは…何?なにが起こってるの?
まだ、両手で足りるキスの数…好きだと言われた事など一度もないけど、キスをされる度そう言ってくれているように感じて、とっても幸せな気持ちになった…
でも、これは…!?いつもの優しいキスじゃな…い……息が…出来な…
花はエレベーターの壁に追い詰められ、背中に回された弓弦の腕に強く抱き締められていた。膝の間には弓弦の右足があり、全く動くことが出来ない。這い上がって来た右手は髪を弄び花の細い首を捕えると、まだ足りないと言うように深くキスを求めて、弓弦は花を貪っていった。
花は些細な抵抗を試みたものの、いつものことながら弓弦はびくともしなかった。
もう、どちらの舌かもわからくなりそうなほど…強く、時に優しく弓弦は本能のままに花の口内を愛撫していく。唇は甘く痺れて、花から全ての力が抜けていった。その時、頬を一筋の涙が零れ落ちていく。
花の様子がおかしい事に弓弦がようやく気づいたのは、エレベーターの停止音にハッとした時だった。
「花っ!どうしたんだよ!花っ!おい!」
ぐったりとした花を慌てて抱き留めた弓弦は、必死に揺さぶったり、頬を軽く叩いたりしたのだが一向に意識が戻る気配がなく、呼吸もかなり弱々しい…
「花!花!おい、ふざけんなよ!目覚ませよ!」
弓弦は救急車を呼ぼうとスマホを取り出すが、指が震え上手く動かす事ができずに何度も落としてしまった。
-こいつだけは連れて行かないでくれ…その無意識の心の叫びに弓弦自身が一番驚いていた。
「くそっ!花!!」
弓弦は花を抱きしめ、甘い髪の香を微かに感じながら耳元で大きな声で叫んだ。
その時だった…花が大きく息を吐き出し、少し青ざめていた顔にふんわりと赤みが戻る…濡れたまつ毛がゆっくりと開いた…
「あ…あれ…君は弓弦くん…どうしたんですか…」
「はぁ~お前がどうしたんだよ!いきなり意識なくしやがって!焦らせんじゃねぇ!」
「えっ?意識…………………あっ!?ゆ、弓弦くんのせいです!さ、さっきのあ、あんなキス…長くって息が出来なくて…力が入らなくなって…苦しくなっちゃって…」
花は真っ赤になりながら話していたが、途中でまた思い出したのか、恥ずかしそうに両手で顔を隠してしまった。
「お前、息を止めてって…はぁ…あーいう時は鼻で息をするんだよ。ガキかよ、全く馬鹿なやつ…ここじゃ邪魔だから部屋行くぞ。ほら、立てるか?」
「えっと…たぶん立てません…」
「仕方ねぇな。よいしょっと。お前はかばんもってろ」
弓弦は荷物を花のおなかの上に乗せると、ひょいっと抱え上げた。
「うわぁ…すみません弓弦くん、重くないですか?」
いつもより近くに見える弓弦の瞳を心配そうにのぞき込む。
「重いに決まってんだろ」
家に入ると、花をそっとソファへ下した。
「ごめんなさい…本当に心配かけてしまったんですね…花は強いので大丈夫ですよ…だから泣いたりしないで下さい…」
隣に座った弓弦の頬をそっと拭った。弓弦本人も気が付いていなかったのだが、その頬には涙の痕があった…
あの遠い日、母親が死んだあの日から…子供心に2度と泣かないと誓った。父親に物のように扱われても、喧嘩の痛みでも泣くことなどなかったのに…
「は?泣くわけないだろ!お前が焦らすから汗かいたんだ!」
-怖かった…こいつまでいなくなったらと思ったら……何もできないことがこんなに、もどかしいなんて…
「花はずっとそばにいますよ…そういえば弓弦くん、さっきどうしたんですか?もう見つかってしまいましたが、花はお仕事だったんですけど」
「ちっ!お前があんなかっこしてっからだろ?前にも言ったよな?やめろって。そもそもなんでお前がバイトなんかしてんだよ」
「えっ?えっと…その…ちょっと急にお金が必要で…あそこが一番時給が高かったんです…」
「…俺のためか?だったら必要ない。欲しいものは自分で手に入れるって言ったろ?だからあのバイトは辞めろ」
「弓弦くんはずっと前からバイトしてお金稼いですごいです。…だから花も初めて自分で働いたお金で、弓弦君にお誕生日のプレゼントを買いたかったんです…そんなに怒るほど…迷惑でしたか?花からのプレゼントなんか要らないですか?」
大きな瞳が揺れ、みるみる涙が溢れてくる。
「…ごめんなさい…でも2週間の約束なので辞められません。もう今日は帰りますね…」
「行かせない。まだ話しは終わってないだろ?」
立ち上がった花の腕を掴み、ソファに引き戻す。
「辞めろって言ってんだろ?辞めないならお前のバイトの日、毎回行って連れ戻すぞ。その方が店に迷惑かけんだろ?どうする?俺はどっちでも良い」
ついに大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
「なんでですか?どうして…どうしてだめなんですか…ぐすん…」
掴んだままの腕を引き寄せ、自分の中に囲い入れると弓弦は花の唇に引き寄せられるかのようにキスをした。
「んっう…ん」
「鼻で息しろって言ったろ?しょっぱいな、お前の唇…もう泣くな、花…」
「あっ、やっ…ゆづ…」
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長い長いキスの後…花はまたしても力が抜けてしまい、ぐったりと弓弦に身体を預けている。
「…お前さ、メイドカフェなんかで働くな。あんな服着てたら、アホな男が寄ってくるって教えただろ?そんなに働きたきゃ、俺の行ってるとこに来い。皿洗いだけどな。頼んでやるから」
弓弦の精一杯の妥協だった。
ーこいつはふわっとしてるように見えて、くっそ頑固だからな…俺に何か買うまで続けるつもりだろうし…はぁ…めんどくせぇ。
「弓弦くんと一緒にお仕事出来るんですか?本当に良いんですか?だめって言っても遅いですからね。約束ですよ!ふふっ嬉しいです!花は一生懸命お皿洗います…それなら明日バイト先に行って、店長さんに謝ってきますね。ふふ」
「ふっもうご機嫌かよ。」
「ふふっあっ!そうだ…あっ、あの弓弦くん…それと…ちょっとお願いがあるんですが…さっきみたいなキ、キスは、えっと…あの…」
花は、下を向いてもじもじしていた。弓弦は花の顎を持ち上げ、わざと視線を合わせた。
「…嫌なのか?ならもう二度としねぇ」
花は慌てて首を横に振った。
「違います!嫌だなんて…そんなことは全然ないです!逆に嬉しいくらいで…ゆ、弓弦くんが…他の人に同じ事する方が嫌…」
「はっ?お前には関係ないだろ?…でもまぁ…最近お前が付きまとってるからそんな暇がねぇよ…喧嘩もしてねぇだろ?嵐も最近落ち着いてきたしな」
自分の言葉ひとつに反応し、くるくると表情の変わる花の顔を見るのが、弓弦の密かな楽しみだった。
「それなら花はもっと弓弦くんと一緒にいます!…でもやっぱり…あの…キスは短めにしてもらえませんか?立っていられなくなっちゃうので…」
ははっ!ばーか!お前が慣れろと、子供みたいな顔で笑う弓弦を見て、花はたまらなく愛おしくなった。
「26日…祝ってくれるんだろ?その日にするか?向こうに帰るの…」
「はっ、はい!お祝いしたいです!連れて行ってくれるんですか?嬉しい!」
「泊まりだぞ?良いんだな?」
「はい!あそこまで日帰りは大変ですもんね。準備手伝いましょうか?花は荷造り得意ですよ。ふふ」
ーこいつ、全然わかってねぇな…嵐じゃねぇけど…大丈夫なのか…俺…
