エンディングノートを書きながらふと思いました。
私がこうして書いているのはいつ何があって死んだ時に残された家族や親族に負担をかけたくないからです。
そしてある言葉を思い出しました。
誰だっていつ死ぬかわからない
旦那がまだ生きている頃何人かからそう言われました。
あと10年20年はピンピン生きてそうな人が余命に怯える旦那にそんなことを言うのはあまりに酷だと思っていました。
私はそんな言葉に反発も感じました。
でも今私は死は誰にでも平等だなと思うのです。
私だっていつ死ぬかわからない
長生きしそうだと思っていても実は既に病気かもしれない、明日予想もしないことで死ぬかもしれない
旦那は少しだけ早かったけどこの世から一足早く卒業した
きっと人より頑張りすぎたから
そんな風にも思うようになりました。
もっと生きたかった
もっと生きてほしかった
でもそれはいつ強い風が吹いて落ちていく葉っぱのように誰にもわからない運命のようなもの
与えられた生を精一杯生きた
今は少しそんな風にも思います。