翌日朝葬儀屋さんが来た

その前に上司も自宅に来てくれた

大勢の前で説明する葬儀屋さんは少しやりにくそうだった

旦那からは入院する1日前に葬儀について話されていた

今どきは家族葬とかあるよと言ったら取引先とか呼んでほしいということだった

寂しいのは嫌なようだ

そして葬儀に呼んで欲しい人のリストを読み上げて私が手帳に書き留めた

その中にはNGリストもあった

その話をみんなにしたら旦那らしいと笑った


このご時世なのに火葬場の予約が早めに取れた

日曜日にお通夜、月曜日に告別式と一般葬でベストな日取りにできた

取引先の人は月曜日は仕事だろうから日曜日のお通夜には参加してもらえる

私は旦那から聞かされていた旦那が懇意にしていた取引先の人にショートメッセージを次々と送った

旦那は本当に取引先の人のめんどうをよく見ていた

飲み会にもよく行っていた

取引先とは言っても友人のようなものだろう

皆旦那の癌のことは知らされていて旦那はそう長くないと話していたようだが旦那が元気だったのでこんなに早く亡くなったことにびっくりしていた

昨日は何人か自宅に焼香にも来てくれた

やっぱりダメだったかと皆残念がった

旦那はあと3ヶ月ぐらいと話していたようだ

でもそれより早く逝ってしまった


それにしても旦那は段取りがいい

私なら往生際悪く死ぬことなど考えず死んでから残された人は何もわからないとなるところだ

旦那からはいろんなことを話されていた

決まっていなかったのはお墓だけだ

でもそれも直前に手元供養で旦那も納得したと思う


お姉さんからは2日も自宅に旦那がいられるのはラッキーだよと言われた

ほとんどの人はすぐに遺体を葬祭センターで安置されることが多いそうだ

それはほんとにそう思う

でも旦那が生きていること以外に意味があることがあるのか?とも思った

生きていないならどうなっても同じとも思うけどそばにいなければ会えなくて気が狂うほどだっただろう


自宅にはたくさん人がいてまるで宴会のようだ

お寿司を取り、お酒を飲んで皆楽しそうにしている

姉の旦那さんは悲しんで見送ってはダメ、笑って安心させて旦那を見送らないとと言われた

たしかに田舎のお葬式では皆そうしていた

泣いても笑っても旦那は戻ってこない

時間は取り戻せない

旦那が未練なくあの世に旅立つには今までのように笑って見送らなくては

それでもやっぱり思い出したように泣いた

眠っている旦那はいつもの顔だ

このまま命を吹きかけることができたらいいのに


私はしきりに旦那がこうなったのは輸血がきっかけだと話した

治療をめぐっては皆意見はバラバラだ

結局私達が選択した結果だ

人生は選択の連続だ

その責任は自分で背負うしかない

死も受け入れざるを得ない