ずっと私の中で望みを捨てない、最後まであきらめないという気持ちともう旦那の命は残りわずかかもしれないという相反する気持ちがあった

別の考えが同時に頭に浮かぶ

もうやれることがない、退院したら介護ベッドの手配をお願いしますと介護のセンターにはお願いをしているが退院はできないだろう

私に残されたことは安心して旦那が旅立つのを見守ること、心のどこかでずっとそう思っていた


今日は午前中に旦那の家族、私の姪っ子、私の姉と義理の兄が1時間おきに面会することになっている

午後は昨日旦那からお願いされて会社の同僚が面会に来てくれる

主治医からは会いたい人に会うなら今会っておいた方がいいと言われていた

だけど旦那を疲れさせるんじゃないかという思いもあった

旦那の看護師のお姉さんは私は常に面会に立ち会うように言われた

そうしたら長く旦那といれるからだ

できるだけ長く旦那といられるように配慮してくれた

病院にもそうお願いしていたんだろう


今日来る旦那の家族とは少し確執があった

旦那はそこまで会いたいとも思ってなかったかもしれない

でも遠くから来てくれた

帰りぎわに遠くからわざわざありがとうございますとお礼を言ったら、だって家族だよと言われた

会いたいに決まっている


旦那の酸素の数値はステロイドの効果はなく、改善するどころか考えられない低い数値になっている

それでも旦那は工夫して呼吸をして会話をしている

その姿が不憫で代わってやれないものかと思った

こんなに人に会わせない方がいいんじゃないかとも思っていた

どれだけ旦那は辛く、苦しいか

我慢強い旦那だからこんな状態でも保っていられる


変な話だが、私は漫画の北斗の拳の一コマを思い出していた

仲間が拷問にかけられ、それが助けられないと判断した仲間が救ってやれないならせめて楽に逝かせてやりたいと仲間に矢を放とうとする

それが脳裏に浮かんだ

せめて苦しませないでほしい

楽にさせてほしい


でもまだ生きていてほしい

何とか頑張ってほしいという思いがストッパーになる

だけどもしもその時がきたら、旦那が1人で旅立つのが不安にならないように声をかけ、ずっと私がそばにいることを伝えようと決意した