12時に私の甥っ子が面会に来た

甥っ子は一時期我家に下宿していた

ある種目でオリンピック選手候補と目された時もあったが今はスポーツインストラクターをしていて全国の大会で選手の育成をしている

たまたま東北の大会のスタッフをしていたので合間に東京に出てきた

旦那に甥っ子が面会に来ることを告げると弱くなった声でありがてえなあと言った

ずいぶんと年寄り臭い言い方だ

甥っ子と集中治療室に入ると旦那の目は輝いた

私達は子供ができなかったので半分子供のようなものだ

忙しい中よく来てくれたと私も思った

旦那は甥っ子に人生の教訓めいたことを告げて私と甥っ子と旦那の3人で手を握り合った

旦那は泣いていた

甥っ子の目に旦那はどう映ったのだろう

甥っ子の目にも涙が滲んでいた


私は自分の家族には姉以外には旦那が癌であることを話してなかった

(今日面会に来た甥っ子は姉の子供で姉が告知した)

旦那から話すなと言われていた

でも1月末に主治医から余命半年以内らしきことを言われた時に旦那が私の家族にも話した方がいいんじゃないかと言った

私は自分の家族に話す時はよくなったか、逆に悪くなった時と思っていた

この時は話す決心がつかなかった

まだ望みはあると思っていた

でももう話す時がきた

甥っ子との面会が終わって私は会社に向かった

その途中の駅のホームで兄に電話をした

旦那はもうあと2、3日かもしれないと泣きながら話した

兄は驚いていたが、私が自分から家族に話すことはできないから兄から皆に伝えてほしいとお願いした

夜私の家族から次々に連絡がきて毎日面会の予約を取ることになった

病院から面会は原則一日一回3人までと言われていた

だから日をずらして予約をした

最後の面会の日は22日となった

旦那の家族も何人か面会に来ることになった

私は病院の面会予約に追われた


この日私を苦しめた仕事が終わった

明日は祝日のため前倒しで納品した

ほんとは後にずらしてもらおうかと思ったが前倒しで納品してよかった

後回しにしていたら葬儀もできなかったかもしれない