旦那が生きていた最後の年2024年がそろそろ終わる
忘れないように今年を月ごとに振り返ってみる
1月
いつもの年のように元旦から初詣に行った
帰りの道で車から富士山が見えた
旦那と最後に見た富士山
私の仕事が忙しくて病院に付き添えずにいたら旦那から手遅れになるぞと珍しく旦那自らがそう言った
月末病院に付き添い旦那は主治医に余命を聞いた
主治医は年単位とかではなく月単位、それも1年よりここに近いと期間を手で示した
それは明らかに半年より短い期間を示していた
2月
やっとのことでがんセンターに癌ゲノム検査の予約が取れて旦那と2人で説明を聞きに行った
がんセンターで最後に癌研究への同意を求められ旦那はたとえ自分が死んでも癌の研究に自分が役立つならそれでいいと希望を見出していた
結果は来月の20日頃になるとのことで旦那のお姉さん達にもがんセンターへの同行をお願いしていた
3月
だんだんと焦りが出て癌ゲノムの結果の前にがんセンターへ転院した方がよい気がして何度かがんセンターに電話をした
対応はがんセンターの相談受付のところがしていたが担当者から焦る気持ちはわかるがまずは癌ゲノムの結果を待ってくださいとその度に言われた
だんだんと旦那の体力低下は顕著になってきた
22日旦那は息を引き取った
がんセンターからは告別式の日に電話がきた
4月
旦那の思い出を一つ残らず残したいと旦那のスマホの写真を現像し、SMSの旦那とのメッセージのやり取りをスクショに残した
古いアルバムを整理してネガフィルムはCDに焼き移した
旦那のフォトブックを作ったり毎週末は富士フィルムに通っていた
5月
ゴールデンウィークに私の家族中心で海に散骨してお別れ会を開いた
写真の整理などは一巡して落ち着いた
位牌を天然石で手配して四十九日に間に合った
この頃はブログばかり読んでいた
6月
ミディアムシップを予約した
7月
多分いくらか落ち着いてきた
それでも毎朝起きると旦那のことを考えて泣いていた
誘われて関西に旅行に行った
8月
新盆供養
この頃はまだ5ヶ月しか経ってないのかという思いが強かった
9月
ミディアムシップを受ける
その前に旦那と出会って同棲していた街に行った
忘れていた陸橋に旦那の幻を見た
ただの他人だったけど
何十年も前のことが甦った
10月
四国と関西に旅行
先月末は田舎に帰省したり忙しい月だった
関西ではお世話になった鍼治療の先生に挨拶に行った
それは私にとって一つの節目にもなった
11月
夏から急に冬になった
新盆が終わってからは旦那が亡くなってからまだ数ヶ月しか経ってないという感覚から時が経つのは早いという感覚に変わった
長く感じられた時間が短く感じられるようになった
12月
やり残したことをやろう
今年の年末年始休暇は9連休になるのでずっとやりたかった旦那の年表を完成させよう
振り返るとたいしたことはしていない
今の感覚はあっという間に今年が終わってしまう
治療を頑張っていた2023年の方が盛りだくさんだったと思える
旦那が知らない2025年を迎えるのは少し怖い