癌になった旦那に時々、人間誰だっていつ死ぬかわからないというようなことを言う人が何人かいた。

たしかにそれは真理だろう。

でも健康で99%生きるだろう人と1%しか生きれないだろう人と同列には語れない。

旦那もそう言われて反発してるように見えた。

死を覚悟しろという意味だろうか。

運命を受け入れろということだろうか。


たしかに定められた運命なら仕方ないとも思う。

でも人間そう簡単に生きることをあきらめられるものだろうか。

最後まで生きたいと願うんじゃないだろうか。


旦那は肺癌がわかる前から自分は長生きしないと言っていた。

私が1人になった時のことをよく話して照明は代えなくていいようにすべてLEDに代えた。

重い家具や植木は処分していた。

何か予感めいたことがあったのかもしれない。

亡くなる1週間ぐらい前もまだ旦那が死んだ後のことを考えない私に、旦那はお前も覚悟しろと怒った。


でも最期の数日間旦那は死を怯えていたと思う。

毎日泣いていた。

ある日早いなあと言って大粒の涙をこぼした。

早いなあというのは癌の進行が早い、死に至るプロセスが早いという意味だろうと思う。

私もそう思っていた。

でもまだステロイドの治療をしていたし、私は旦那の肩を抱いて大丈夫だよ、よくなるのも早いよと言った。

旦那は少し不機嫌に顔を背けた。

気休めなんか言うなと思ったのかもしれない。

この時私は一緒に泣けばよかったんだろうか。


旦那が亡くなる前数日間は旦那と一緒に泣いたこともあったけど、最後の瞬間までできるだけ泣かないようにしていた。

私が泣いたらあきらめたも同然だ。そう思った。

死の準備はもうとうに済ませている。

死んだ後の話などしなくていいと思ったし、わずかでもいいから回復を願っていた。


今思うと旦那に寄り添えてなかったと思う。

できるだけ旦那には深刻な気持ちになってほしくなかった。

でもそれは健康な私と死を間際にした旦那とは違っただろう。

今もし旦那に会えたら頑張ったよと言って旦那を抱くと思う。

ほんとの答えはわからない。