自分の忘備録の積もりで始めたブログだけれど、暗い部分があまり吐出しない様にと思っている、その一端を書いてみる。

心の問題を解決させたい気持ちがあるのに、いつまでも整理できずに居るからで、この歳になっても未だ抑えなければならない心の葛藤に鬱っぽく成るのは仕方がないのかな?

 

初めて結婚したのは21の時、グラフィックのデザインを始めていた頃で、大学出の初任給が15000円くらいの時代で、大阪万博が終わって経済が豊かな頃だったが俺は高給取りだったと思う、結婚したのは母の暴走だった。

 

母はよく俺の事が気になって上京していた、きっかけはまだ知り合って間もない時、忙しくて部屋の掃除も出来なくてという話から、世話好きだから大丈夫と、まだ手も握った事がなかったのに部屋の合鍵を渡した俺が変なのかな、掃除に来てくれた様で、そこに予告もなく現れる母と鉢合わせになったという。

 

彼女はあれこれ聞かれたが、きちんと素直に話したが「部屋の掃除に来るって事はそれないの関係でしょ」と言って彼女の実家に行って結婚式の打ち合わせをして決めてきたらしい。

一人っ子の彼女の母は嵐の様にやってきた俺の母の話を真に受けて承諾したらしいけど、仕事から帰って部屋に明かりがついて居るので、本当に来てくれたんだと呑気に部屋に入ったら、彼女と母がなんとも言えない雰囲気で見つめ合っていた。

 

「えー何それ」と言うしかなかった。

「なんでそんなに勝手な事」と言い合いになって、母は自分の神奈川の妹の家に逃げ出した。

2人で4畳半の俺の部屋で

「ごめん。母が勝手な事を」

「で、どうする」

半年くらい後の3月に結婚式の予約が決まってて、キャンセルだよな、と思っていたら「もう少し付き合って、決められなかったらキャンセルするって事で良いよ」と言う。

 

結婚なんてまだ先と思っていたが、母の考えにまるでついていけない行動に結婚が最重要問題になった。

目白に近い池袋の4畳半の部屋に住んでいたが、電話を引いていたので連絡は取り易かった事もあって大事な人と思うのに時間は掛からなかったが、不安もあった。

一人娘を嫁もらうって事、俺は岩手の盛岡出身の田舎者、方や東京出身で某大手企業のエンジニアの親はどう思って居るのかと・・・・。

 

なかなか煮えきれないと思われたのか

「私は決めた、後は貴方の気持ちだけでしょう?」

式の予約が迫ったひと月前

「私、今日は帰らない」

その日までデートの時にも並んで歩くだけだったのに、初めてを頂いてしまって、うまく押切ってもらった訳で・・・・・それから心配する事なく式当日を迎えた。

 

新婚6ヶ月の頃お腹が妙に出てきてて、「妊娠?」

 

「お腹が痛い」と言い出してたのがこの頃、看護婦をしていた義母は有名な産婦人科の先生に診察をお願いして、痛みの原因が「卵巣膿腫」、時々痛みで横になって流していたらしいけれど、レントゲンやエコーで手術しないと体に大きな影響が出ると言われ、手術する事に。

開腹したら問題は大きくて、卵巣全摘出という事になってしまった。

 

退院して落ち込んでいた妻に「子供のいない夫婦は沢山居る、子供が出来なくても2人で楽しく生きて行こうよ」と励まして仕事の関係であちこち飛び回っていたけれど、ギクシャクし出して、結局、離婚を決めた。

 

やりきれない思いを北海道での仕事でと単身北海道に。

 

それからも電話で連絡をとっていたのだが

「私,癌だって、会いに来てよ。」

「もう駄目なんだって分かってるから、会いたいの」

気にはなったけれど、時間が取れずにいて,ある日「あの娘亡くなってしまいました」

と義母から連絡が来た、再婚しようかと話し合ってた2・3ヶ月前の事が嘘の様に・・・。

 

その日から片思いが永遠になった。