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到達不能極からの發信

到達不能極から、嶋佐がお傳へします。
日日、健康に、樂しく、そして幸せになる爲に。
舊大阪テレビタレントビユーロー(ttb)のタレントさんを
應援してゐます。

今年も、ブツダ。

 

シツダルタ、デーパ、アツサヂは苦行林に向かふ。

 

 

シツダルタは、ある行者から「空」なるものが分かるか?

と問はれる。

 

 

シツダルタは石の臺に座り、瞑想する。

ハゲタカに威嚇されるときもあつた。

 

しかしシツダルタは動じない。

 

 

「さいごにおそつたのは 

 わたしの心の中の

 いろいろな思ひ出です 

 それがいつまでもいつまでも 

 あとからあとからあらわれて

 心をかきみだすのです」

 

 

「わたしはたうたう わたし自身を 消しさることにしました

 わたしが消えれば思ひ出も消えるでせう

 そこでわたしがこの世に 實在しないと念じたのです」

 

小さい頃の私は、「空」と言はれても何の事か分からなかつた。

ただ、「思ひ出が襲ふ」といふ所が印象に殘つてゐる。

 

過去の樂しかつた事、苦しかった事を思ひ出す。

その度にブツダのこの頁が頭の中に浮かぶのだ。

 

いろいろな人と關はりがあつたな、

皆、今どうしてゐるだらうか、

等と考へてゐることがある。

同時に、寂しくなることもある。

もうあの頃には戾れない、返つてこない。

 

「私自身を消し去る」「私がこの世に實在しない」

そこまでは不可能であるが、慾望を最大限、

削り取つて生きるのは不可能ではない。

 

生きていく上で、樣樣な困難に出くはす。

自らの慾望を抑へる。

私にできることは、これ位しかない。

 

 

上手くいかない時がある。

不安で頭がいつぱいの時がある。

 

そんな時、口づさんでみる。

 

「がんばつてみるよ やれるだけ」

 

公式の歌詞を引用すると、

 

「がんばつてみるよ やれるだけ 

 がんばつてみてよ 少しだけ」

 

だつた。

 

少し、氣が樂になつた。

 

「やれるだけ」やつた。

結果が出る。

 

どんな結果に終はらうとも、

これが私の實力なのだ。

 

何があつても、どんな結果が待つてゐても、

 

最後まで走り拔けて。

 

嘗て、誓つたではないか。

 

最近、この氣持ちが薄れてゐた。

ここ1週間に起きた騷動の影響もある。

氣持ちが動搖してゐるのだらう。

 

 

忘れるな、この氣持ちを。

 

 

 

今日は、整體に行つた。

 

どうも右の肩が痛い。

全身をほぐしてもらつた。

 

肩がこつてゐる。

運動不足が原因か。

 

日頃、階段を使うやうにしてゐる。

 

氣がついたら、眠つてしまつた。

氣持ち良かつた。

 

氣分轉換になつた1日だ。

 

最近、歌つた曲敎へて!

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NHKFMで流れた、サザンオールスターズの
「淚のキツス」。
 
 
30年以上前の歌でも、
大好きだ。
 
私は「涙のキツス」を、
「なみどぅあのきつす むぉういちーどぅおお」

セカンドストリートで小物を賣つた。

 

3分後、シヨートメールが屆き店頭へ戾る。

 

3點で合計70圓だつた。

 

こんなもんだらうといふことで、

同意する。

 

手放せて良かつた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、街中を散步した。

 

防寒で、耳を隱して、厚着をした。

 

今日は春のやうな暖かさで氣持ちいい。

 

步道を步き、公園に入る。

 

家族連れがゐて樂しさうだつた。

 

約3キロほど步いた。

もつと運動しないと。

 

 

 

 

昭和35年、ある小説が發表された。

 

司馬遼太郎「豚と薔薇」である。

 

殘念ながら現在この作品を讀むことは非常に困難となつてゐる。

文庫はおろか全集にも收錄されてゐないからである。

 

當時、週刊文春に6囘にわたつて掲載された。

 

第1囘 週刊文春 昭和35年7月18日號

第2囘 週刊文春 昭和35年7月25日號

第3囘 週刊文春 昭和35年8月1日號

第4囘 週刊文春 昭和35年8月8日號

第5囘 週刊文春 昭和35年8月15日號

最終囘 週刊文春 昭和35年8月22日號

 

當時の流行に合はせて書いてみたものの、

納得いかなかつたのだらう。

 

●登場人物紹介●

 

田尻志津子

昭和4年9月21日東京都生まれの30歲。

本籍は東京都世田谷區世田谷1ノ119。

舊制女子專門學校國文科を卒業後、古墳保存協會事務局に勤務。

兄は小兒科醫。

 

太田源造

大阪府警察本部巡査部長。

 

高刑事

大阪府警の刑事。妻は創價學會員と發言する。

 

尾沼幸治

水死體で發見される。複數の僞名を使ひ女と付き合ふ。

日電紙業に勤務するも勤務成績は極めて惡く、

この年7月1日に退職する。

 

木場ユリ

尾沼の情婦。

 

那須重吉

大學の文科を卒業。志津子の兄とは大學の箏曲部で一緒だつた。

北九州にある新聞社に勤務。12年目。

西部總局の報道部次長の後、大阪支社の社會部次長。

 

鶴澤昌造

鶴澤紙業株式會社社長。4年前に死去。

西大阪交響樂團に資金援助をしてゐた。

 

鶴澤美千代

昭和5年7月20日高知縣生まれ。私立O女子大家政科卒業。

昌造と見合結婚、5歲の男兒を儲ける。

夫の死後、鶴澤紙業株式會社の社長となる。

 

橫倉新次郎

美千代の實父。

伊能町に工場を持つ製紙業者を經營する。

鶴澤紙業とは50年來の取引關係がある。

 

津川元祥

西大阪交響樂團のマネーヂヤー。

月刊の音樂新聞を出してゐる。

 

間﨑達之助

鶴澤紙業株式會社會計部長。

始業の半時間前に出社する。

 

1月に思うこと

 

 

 

 

 

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もう1月も15日過ぎた、

時間が經つのが早いと思つてはならない。

日日を一生懸命過ごしてゐるのだと思ふことにする。

 

私なりに、1日を生きてゐる。

思ひ出を大切に。

今日、令和7年1月17日。

 

阪神淡路大震災から30年となる。

朝からテレビを見て、淚が出さうになつた。

あの當時、私は古い家の和室で寢てゐた。

もし、兵庫縣南部だつたら確實に家は崩壞して命を落としてゐただらう。

 

テレビ局が體育館にゐる被災者にマイクを向けた事を、

當時通つてゐた學校の教師が怒つてゐた。

私も同感だつた。

 

テレビ局が30年を振り返るなら、かういつた點も同時に振り返るべきだらう。

 

默禱。

 

 

令和7年が始まつた。

 

 

初夢は、ラーメン食べた夢。

美味しくて涎が出さうになつたところで目が覺めた。

大晦日、卽席麵を食べたからだらうな。

 

相變はらずの私だ。

 

「●●年は轉換點。」「變化の年」

よく言はれる。

ブログの講師さんや占い師さんが書いてゐる。

 

私は、布團の中や部屋に座つてゐる時、

色んな事を考へた。

 

將來どうなるんだらうな、なんて。

 

運命なんてものは「決める」ものか「決まる」ものか、

分からない。

 

結局、行動するしかない、といふ結論に達した。

嫌味言はれやうが、やる。

結果が出なくても、やる。

時間がなくても、やる。

 

やる。