正確な年は分からない。
時は平成14年頃か、
月曜21時、私はテレビタツクルを見てゐた。
小泉政權の時代、舛添、田嶋、三宅、ハマコー。
激しい言ひ合ひが賣りの番組であつた。
番組の中で、CMが流れる。
私は、そのCMをいつまでも忘れない。
コクヨのCMだつたかな。
會社で、會議がある。
大勢が集まつてゐる。
1人がホワイトボードに、
內容を書き留めてゐる。
當然、纏まりはない。
出席者の若い男性が頰杖をつき、
呆れ呟く。
「アナログだよなあー。」
ホワイトボードにある機械を裝着し、
書いた內容を複寫できる機械の宣傳である。
私は、「へえ、こんな機械があるのかあ」
と感心したが、「値段高いだらうな」と同時に思つた。
今、この機械は販賣されてゐるのか。
生産中止になり、後繼機もないと豫想する。
このCMから約20年。
言はずと知れたスマートフオンをはじめ、
タブレツト、ウオツチ、動畫、SNS、
と、デジタル全盛時代である。
平成14年當時、
インターネツトはパソコン、
テレビはブラウン管テレビ、
音樂はCD、錄音はMD、
映像はDVD、記録はDVD-R/RW、DVD+R/RW、DVD-RAM、
寫眞はデジタルカメラ、
折り疊み携帶電話、などなど。
私は、これらの技術を當然、
最新で素晴らしいものだと思つてゐた。
時は令和5年。
外國は分からないが、
アツプルやグーグルが完全に日本を席捲してゐる。
何でも指を動かすと調べられる時代。
畫面に幾らでも映しだす事ができる。
事件の速報を、天氣豫報を、國の統計を、
すぐに見ることのできる時代。
中學生でも、何萬圓もするスマートフオンを片手に步く。
いい時代だ。間違ひない。
そんな中でも、
なくならないものがあるだらう。
「行つて見る」「調べて頁を捲る」「體驗する」
「鉛筆(ペン)で書く」
である。
デジタルが發展したとしても、
この4項目に優ることはできないだらう。
さうあつてほしいな。
電車で皆俯いて畫面を見るのはやりきれない。
何か、日本の會社が衰退し、
米國の會社にしてやられてゐると感じるのは、
私だけであらうか。
「ツイツターが閲覽できない、
日本では既にインフラになつてゐるのに」
といふ話を聞いた。
私は
「おいおい、日本の役所がこんな外國のよく分かんない會社の商賣に寄り掛かつていいのか?」
と開いた口が塞がらなかつた。
たつた一言の臺詞を思ひ出し、變な展開になつたが、
アナログも忘れないやうに、と言ひたい。