午前、松陰神社宝物殿至誠館で開催中の標記特別展を観た。

 

この展覧会には「世界文化遺産登録10周年記念」という冠がつき、副題は「明治日本の産業革命遺産に果たした役割」というものである。

 

松下村塾は、吉田松陰が「工学」教育論を唱えていたことが重要視され、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界文化遺産に登録された。また、松陰の門人に、工業界発展に貢献した人材が複数確認されることも重要なポイントである。

 

世界遺産登録は、今から10年前の平成27年(2015)のことである。しかしこの時点では、その真実性を証明する担保資料としては、「学校を論ず 附、作場」くらいしかなかった。これは、当時、世界遺産登録に必要な資料を作成する立場であった僕自身、大変遺憾とするところで、それを補強する仕事を課題として残していた。

 

この状況を大幅に改善したのが、2年前に出した拙論「吉田松陰における「工学」教育論の形成と展開」である。

 

この至誠館における特別展では、おこがましい言い方にはなるが、僕が書いた論文をだいぶ活用していただいており、率直に嬉しかった。それは、僕が論文でとりあげた多数の資料が、実物として目の前に展示されているからにほかならない。また、僕が気づいていない資料もいくつか展示されていて、自分の不勉強さを改めて気づかせてもらえる機会ともなった。それらをいちいち書くと長くなるので省略するが、今後の研究に取り入れたい。