先日、自身初の松陰に関する論文を発表することができた。自分のなかでは、個人的にはとても大きな仕事をすることができたと思う。

 

『至誠館大学 吉田松陰研究所 紀要』第5号に収録された拙文は、次のタイトルだ。

 

吉田松陰における「工学」教育論の形成と展開

 

どのような反応が示されるのか・・・、ただの自己満足で、愚論なのかもしれない。とはいえ、この論文を書こうと決意してから、ほぼ5年くらいの時間が経過しており、とても充実した時間をすごせたことは間違いない。産みの苦しみも味わいつつ、その一方でいくつかのエウレカ体験もすることができた。頑張った甲斐があったと思う。

 

昨冬、杉民治(梅太郎)つまり松陰の兄に関する論文を書くことができ、そして本年は、弟の松陰に関する論文を書くことができた。まったく偶然のことで、松陰論文の執筆過程では他の仕事との兼ね合いからいろいろ困難もあったが、結果オーライだ、と勝手に思っている。