このたびの東北関東大震災は本当につらい。

関東には友人が多いし、東北にはその友人らのご家族がおられる。

安危がとても心配だが、とにかくご無事を願うことしかできない。



そんななか、長崎へ出張の機会を利用し、昨14日、軍艦島へ渡ってきた。

「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産に含まれている関係で、事情を把握しておきたいと思ったからだ。

なおこの日は曇り気味で、いやな予感がしていたが、案の定、船に乗る直前に雨が降り出した。


ここへ行くには、「長崎さるく」というホームページから軍艦島ツアーを探し、予約することができる。

船に同乗されたガイドの方の説明が非常に上手だったので、よく理解することができた。

また、長崎港から軍艦島までの経路沿いに、長崎(三菱)造船所の関連施設も見ることができる。

これでいっぺんに、長崎の構成資産は概要を把握することができた。


軍艦島は通称で、正式には端島というが、周知のとおり島ごと炭鉱として開発され、現在は廃墟となっている。

石炭の採掘が200年ほど前に開始され、本格的な炭鉱としては100年くらいの歴史をもつそうである。

明治以後の富国強兵策が絡み、この島から産出する良質な石炭がわが国の近代化を大きく支えてくれたのだ。


とにかく、軍艦島のあまりに無残な姿に、なんといってよいか言葉がみあたらない。

しいていえば、元来は自然に安定していたものが、人工的に何度も大手術されたと表現すればよいか。

6度にもおよぶ埋め立てと鉄筋コンクリートの高層建築により、面積を伸ばせるだけ伸ばしたという観がある。

人間の都合で自然が破壊され、不要になったら廃棄されるということの象徴的存在である。


最盛期には5,300人からの人びとがここに暮らしていたという。

これを累計すれば、何万、何十万という人がここで生き死にしたということになろう。

自ら望んでここに暮らした人よりも、強制的に連れて行かれた人のほうが多いのではないか。


軍艦島の経験を、われわれはけっして忘れてはならない。