京都で開催された「人体の不思議展」について、賛否両論がまきおこっている。
こうした展覧会の開催が可能になった原因は、特殊な処理方法で人体標本をつくれるようになったことにある。
現に科学技術の進歩により、われわれ人類はいとも簡単に何もかもを手に入れることができるようになりつつある。イギリス産業革命以来、人類史は新しい段階に入り、「IT革命」に代表される「○○革命」は各方面で現在進行中である。今後、人類はこうして手に入れた英知をどう使用するか、とりわけ倫理面が問われることになろう。
こうした観点から「人体の不思議展」を例にとった場合、学術標本を公開する場としての展覧会という側面と、人を集めるためのいわゆる商業ベースの展覧会という側面とで、賛否がわかれているわけだ。
個人的には、展覧会というのは不特定多数を相手とするわけだから、このあたりよくよく検討・吟味してから実行に移すべきだと思う。現に僕の博物館でも、一般公開を躊躇する資料がいくつか存在する。
また利用者の視点からいえば、科学的・学術的内容が保証されているのか、たんなる見世物としての展覧会なのか、見る側にもよく見極めをする力が求められる時代になってきたということでもある。
とにかく、僕はこのような内容はどうも苦手だから、まず行かないと思う。
こうした展覧会の開催が可能になった原因は、特殊な処理方法で人体標本をつくれるようになったことにある。
現に科学技術の進歩により、われわれ人類はいとも簡単に何もかもを手に入れることができるようになりつつある。イギリス産業革命以来、人類史は新しい段階に入り、「IT革命」に代表される「○○革命」は各方面で現在進行中である。今後、人類はこうして手に入れた英知をどう使用するか、とりわけ倫理面が問われることになろう。
こうした観点から「人体の不思議展」を例にとった場合、学術標本を公開する場としての展覧会という側面と、人を集めるためのいわゆる商業ベースの展覧会という側面とで、賛否がわかれているわけだ。
個人的には、展覧会というのは不特定多数を相手とするわけだから、このあたりよくよく検討・吟味してから実行に移すべきだと思う。現に僕の博物館でも、一般公開を躊躇する資料がいくつか存在する。
また利用者の視点からいえば、科学的・学術的内容が保証されているのか、たんなる見世物としての展覧会なのか、見る側にもよく見極めをする力が求められる時代になってきたということでもある。
とにかく、僕はこのような内容はどうも苦手だから、まず行かないと思う。