現在、僕のつとめる博物館では「城下町 萩のひみつ」という展覧会を行っている。
この記事の見出しはやたらと長くなったが、要するに、高杉晋作が住んでいた場所が、じっさいにその当時の絵図から読みとれるのである。ただし、たとえば嘉永年間の城下町といえば、晋作はまだ十代前半の少年時代であるから、絵図中には当然、晋作の名前はみつからない。
では、現在の高杉晋作誕生地の場所に何と表記されているかというと、「高杉又兵衛」とある。又兵衛は、晋作のおじいさんの名前なのだ。
このように、昔からずっと変わらず、その場所に高杉家があったということの証拠として、今回展示されている城下町絵図はたいへん貴重なものであることがわかる。
「江戸時代の地図がそのまま使えるまち」というキャッチコピーはたしかに、なんとなく雰囲気は伝わるのだが、もっと具体的にいえないものだろうか。そうした問いかけに、幕末・明治維新担当の僕がこたえるならば、上記のようなことが一例としてあげられる。
城下町絵図は、情報量がたいへん豊かであるため、人それぞれ、いろんな見方ができるものと思う。
そんないろんな楽しみ方のできる展覧会を、ぜひご覧いただきたいと願っている。
この記事の見出しはやたらと長くなったが、要するに、高杉晋作が住んでいた場所が、じっさいにその当時の絵図から読みとれるのである。ただし、たとえば嘉永年間の城下町といえば、晋作はまだ十代前半の少年時代であるから、絵図中には当然、晋作の名前はみつからない。
では、現在の高杉晋作誕生地の場所に何と表記されているかというと、「高杉又兵衛」とある。又兵衛は、晋作のおじいさんの名前なのだ。
このように、昔からずっと変わらず、その場所に高杉家があったということの証拠として、今回展示されている城下町絵図はたいへん貴重なものであることがわかる。
「江戸時代の地図がそのまま使えるまち」というキャッチコピーはたしかに、なんとなく雰囲気は伝わるのだが、もっと具体的にいえないものだろうか。そうした問いかけに、幕末・明治維新担当の僕がこたえるならば、上記のようなことが一例としてあげられる。
城下町絵図は、情報量がたいへん豊かであるため、人それぞれ、いろんな見方ができるものと思う。
そんないろんな楽しみ方のできる展覧会を、ぜひご覧いただきたいと願っている。