松下村塾講義室 27歳の松陰は幽囚室からここに移り、松下村塾を本格的に主宰することとなる。時に安政4年(1857)11月5日のことであった。 ここに久坂玄瑞や高杉晋作ら萩の俊秀が集うのであるが、わずか一年ほどで松陰の指導は終わった。 しかしなぜ、松陰はかくも若者たちを魅きつけられたのだろうか。この疑問に対しては、史料での実証レベルではなかなか答えることができない。いや、むしろ、それを裏付けるような明確な史料など、おそらくないに違いない。 いまだ推論の域を出ないが、僕は、松陰のもつ何か不思議な魅力が、好奇心旺盛な少年たちを誘引していたのであろうと考えている。