NHKの大河ドラマ「篤姫」の影響であろうが、ここのところ幕末ブームに沸いている。

6月6日(金)の読売新聞朝刊、文化面に、明海大学教授の岩下哲典氏が寄稿されていた。

見出しはつぎのようである。

「ペリー来航」事前入手 避難用に邸宅購入  薩摩藩のスゴ腕情報力

岩下氏は僕がたいへん尊敬する先生で、いつもこちらが一方的にお世話になってばかりいる方だ。岩下先生は、一言で示せば、「幕末情報史」という一分野を開拓された研究者である。つまるところ、先生は幕末政治史の研究に、情報という独自の視点を盛り込み、政治のメカニズムをより豊かに描き出すことに貢献されているのだ。

ところで、この記事はたいへん時宜を得たものである。現在、「篤姫」を放映中であることのほかに、江戸東京博物館では「ペリー&ハリス」という特別展が開催されてもいる(この記事が読売に出たということ自体は、読売新聞社が特別展の主催に入っていることとも関係していよう。なお、この特別展は先日の東京出張のさい、非常に短い時間だったが一応は観覧できたので、のちほど別途書くことにしたい)。

こうしたタイミングで、一線で活躍される研究者が一般向けにホットな話題を提供されること自体、非常に歓迎すべきことである。最新の研究成果をただ学界だけの占有物とすることなく、市民に還元するという姿勢は、僕らも大いに見習うべきことである。要は、岩下先生はたいへんきさくな、楽しい先生なのだ。

余談はさておき、この記事で注目すべきは、薩摩藩が独自に、「ペリー来航」の事前にその情報を入手し、渋谷に新たな土地を求めて女子らの避難場所としたという点である。

この背景には、長崎在住の薩摩藩士大迫源七による情報収集があった。さらに、薩摩藩主の島津斉彬は、嘉永5年(1852)10月、老中阿部正弘から、オランダを通じてのアメリカ船渡来の確たる情報を得、ついに家老に対し、避難場所の入手について指示を出す。こうして翌嘉永6年5月、すなわちペリーが来航するひと月ほど前に、薩摩藩は渋谷邸を完成させているのである。

僕は大河を見ていないが、岩下氏によれば、安政3年(1856)篤姫が徳川13代将軍家定の御台所(正室)として江戸城大奥に輿入れするさい、渋谷の薩摩邸から出立したそうだ。当の篤姫本人は、嘉永6年(1853)に鹿児島から江戸に入った当初は芝の藩邸に居住し、のちに渋谷邸に移ったのだが、薩摩藩が渋谷邸を手に入れた理由など、知る由もなかったであろうとも岩下氏は言う。

「ペリー来航予告情報」を事前に入手し、分析を行い、的確に活用を行えた稀有な事例として、薩摩藩の動きは注目に値する。このようにして、歴史の背景が紐解かれたとき、歴史像はより豊かなものとなってくる。先生のますますのご活躍をお祈りしたい。